マサヒロ事件簿

何が起こるか想像もつかないステージの上・・・たった1度しか聴けない生だからこそ起こる悲喜劇の数々。
「マサヒロ事件簿」・・・ここでは、斎藤雅広のコンサートあふれる日常から、とっておきのエピソード、今だから言える爆笑アクシデントなどをご披露いたします。


(注:現在は、「まさひろ瓦版」にて日々の出来事をお知らせしています


家に来たラ・スコーラ!\(◎o◎)/!

今日はラ・スコーラさんとのプレ・コンサートがあるのだが、超多忙の彼はなかなかリハーサルが取れず、結局昨日だけがあき時間ということでやりくりすることになった。昨日は上大岡でのサロンコンサート当日。上大岡は2時からのコンサートなので夜7時以降ならリハは可能だが、ラ・スコーラにとってはコンサートの前日ではやはりそれは無理。ということで昼前にリハをして上大岡はリハーサル・ゲネプロ無しでのぞむ・・・もしくは少し遅れて到着する恐れもあるかの緊迫度だった。上大岡の方は実力抜群の家田さんが相手。共演回数も多いのでそのあたりは安心といえば安心。万一遅れた場合は彼女の「大きな古時計」の爆笑芸でつなげてもらうことをお願いした。

というのも今日のコンサート(ラ・スコーラ)は昨日の段階で何も曲が決まっていないのだった。リハでああでもないこうでもないとやっている時間は無い。それに第一不安じゃないですか!?おまけにうちに来る!!現代の3大テナーが我が家にひょっこり来て、歌う・・・大事件でしょ。演奏会ラッシュの中、必死こいて家を掃除し、ミネラルウォーターを用意したりでてんてこ舞い。ラ・スコーラさんはとても気さくなあたたかな方で、インテリジェンスも感じさせる紳士、実際は何の問題もなかった。

問題は曲である。でもこれは日常茶飯事。来日直前まで楽譜が来ない、または曲目変更で初見で舞台に立つことが多すぎる(笑)。絶対避けたいことだけどプロの事情というのはそんなところ。たまにはさすがにうまく処理できないときもあって、愛好家に「あのピアニストは、初見みたいな演奏していた。けしからん!!!」等と怒られることもあるが初見なんだから仕方がない(爆笑)。歌手に申し訳ないくらいだった!と怒られても実際に謝ってるのは歌手の方だ(笑)。「ごめんね、突然弾かせちゃって、えへへ。でも君は優秀だねえ」ときたもんだ。いいかげんに演奏していると誤解されるのは、とても心外で嫌なことだが、結局「修羅場に強い」から選ばれているのだから、そんな過酷な折にもプライドを持って、覚悟を決めてやるしかないのだ。

さてラ・スコーラ。「いやあ、実は日本にしか売っていない便利な楽譜があって、これから歌うよ。これ持ってる?」と出してきた楽譜は、なんと私が執筆(アレンジ)してヤマハから出版した楽譜!おいおい・・・・。何で持ってるのよ、それを。リハーサルもみんな1回でOK、なんてったって僕の楽譜だから(^◇^;)・・・!もう爆笑。そういえば彼のCDを聴いた時、なんとなくアレンジが似てるとはチラと思ったけど、こんなVIPに使われているとは、まさか思いもしなんだ(´。`)

そして上大岡のコンサートはそのままハイテンションでとても楽しく、ゴキゲンでいきました。スリリングだけどやっぱりやめられない。さらにはあした台風の中、四国に行かねば・・・・。行けるのだろうか?

(2004/09/30)


前方さえぎり

ある歌い手のコンサート、譜めくりはその歌手のお弟子さんだった。それはすっごく太った女性で、たぶんそのバストは1m以上は必ずある巨乳(というより太っている)で、胸の谷間がおしりのようにも見えた。
曲がクライマックスに達した時、その太った譜めくりさんは不覚にも間違えてめくってしまい、あわててめくり返した。その時、彼女があまりにもせり出したために楽譜が見えなくなり、思わず「見えない」と小声でいうと、そのせり出した姿勢のままでこちらに向き直り「えっ?」と訊き返したから大変だ。顔が胸の谷間にうずまりうれしかった。


ツーショット大拍手

ある室内楽のコンサートでプログラムが終わり、何度もおじぎをしてカーテンコールしていた。
拍手が鳴りやまなかったのでアンコールを1曲演奏することになったが譜めくりの人がいない・・・帰ってしまったようだ。
あわてて楽屋の方へ走り、今にも外に出ようとしていた譜めくりの女の子の手をむんずとにぎり、「もう1曲あるんだ」と叫びながらそのまま舞台に走りこんだら、客席からは仲良く手をつないで足どりも軽く登場したように見えたらしい・・・
「ヒューヒュー!」「よっ、ご両人!」「にくいネッ」・・・そんな感じだった。


ニューオータニ破産

大阪いずみホールがオープンした時、一週間ぐらい滞在して一連のコンサートをおこなった。宿泊はとなりのニューオータニ。当時、ビジネスパーク(いずみホールがある辺り一帯)は何もなく陸の離れ島という感じだった。
その時に限ってクレジットカードを持たずにいったので、朝・昼・晩とニューオータニで食事をし続けたら(ちなみに当時、朝¥3,500+昼¥5,500+夜¥7,500+サービス料+税=1日の食費が約20,000円!?)4日で破産した。
マネージャーに「お金かして」とお願いしたら、「そばに牛丼屋がある」と怒られた。


熱帯雨林

あるヴァイオリニストの演奏会の時、これはけっこうムズかしいプログラムだったのでピアノも大活躍するワケ。
当日、譜めくりの女性はどう見てもナイスバディとはいえないのに、超ミニスカで現れた。
曲が激しくなって思わず左手が後ろにいった時、ちょうと譜めくりする場所だったので、やおらその女性は大股開きで立ち上がったのでした。
そして私の左手は・・・熱帯雨林地方のような生あたたかい感触につつまれていった・・・。


おみそれ

あるバス歌手は1曲だけどうしても暗譜に不安があった。
コンサートの直前、「この曲だけ楽譜をみる」というから「どうぞ、どうぞ」という感じ。
ところがふだんから楽譜を見ないでやっているので、たまに見た楽譜で自分がどこを歌っているのかわからなくなり、結局とまってしまった・・・。


ききわけのない子

名古屋でのコンサートの時、譜めくりをしてくれた子はとても性格のいい子だったが、リハーサルの時から何度も何度もめくってはいけないところでめくろうとしていた。
案の定、本番になってもその例の場所で彼女の腕が私の目の前を横切ろうとした。思わず弾いていた右手でその腕をつかみ、「まだ!」とにらみつけた。
・・・おそらく20小節ぐらい左手だけで弾いていたのではなかろうか。


ホテルのフロント嬢

あるホテルのディナーショーの時、うっかり譜めくりを手配するのを忘れていた。困ったけれど、楽譜が読めなくても「私が1度首をたてにふったら起立、2度目にふった時にめくる」というやり方で、前にも頼んだことがあったので、そこのホテルで一番かわいかったフロントの女の子にたのんだ。
コンサートは無事にすすみ、いよいよクライマックス。ピアノパートも難しくなり、首が自然にふれて特にはげしい所では首を固定しとく事など無理もいいとこだった。あんまりしょっちゅう首をふりだしたので、フロント嬢はとまどいながら立とうとしたり座ろうとしたり、中腰状態で「ま・まだぁ・・・?」と苦悩にみちた顔。その表情がすてきだったので、しばらく首をふり続けていた。
・・・私は変態でしょうか?


「一杯やっか?」

シューベルトの「冬の旅」全24曲を歌うとき、その歌手は12曲目が終わった後で休憩をとるか、1度舞台袖に引っ込むか悩んでいた。・・・が、結局音楽的には良くない事なので、全曲休みなしにするかわりに横に水差しを置いて歌うことにした。水差しといっても会場には政治家が使うようなでっかいのしかなく、途中でなくなってはいけないと気をつかいすぎた係員はその中になみなみと水を入れておいた。
いよいよ本番、「冬の旅」12曲めの“孤独”が終わり曲名どおりのくら〜い雰囲気がただよう中、静まりかえった会場に水差しからコップに水をくむ「トクトクトクトク・・・」という音が響きわたった。
そういえば入場無料のコンサートだった。
おトク・・・。


口ごたえ

音楽関係者ではないけどとても仲の良い人に譜めくりを頼んだ時。
繰り返しがある所でその人がめくりそうになったので「まだだよ」と小さな声でいうと、「なんで?」とけっこう大きな声で口ごたえされた。
しばらくしてから同じくらいの声のレベルで「ああ、繰り返しかぁ」といってすわった。
ちょっとこわかった。
ぜったいお客さんにも聞こえたはずだ・・・。


萩原貴子(1)

高松にフルートの萩原とコンサートに行った。ローカルの特急は時期がはずれたためか貸切状態だったが、ある駅でひとりの外人さん(男)が乗ってきた。
髪は短くがっしりとスリム、ゲリラの人が着るようなTシャツとごついリュック。見るからに軍人さんでマシンガンでもしょっていればランボーってところかもしれない・・・等と思った矢先、萩原の大きなひと言、「あっ、自衛隊だ!」
・・・戦前の人がきいたら泣くゾ・・・!


萩原貴子(2)

NHKの収録があり、フロアを歩いている時だった。向こうから石田三成にメイクした真田広之がやって来た。スタジオではいろんな人とあう。この間も川上麻衣子がとなりの楽屋を使っていて、それはそれは奇麗だった。まあ、真田広之の場合は何げなく見てもやっぱりいい男っていう感じ。でもジロジロ見たらワルイので、さりげなくすれ違おうとしていた。
ところが・・・萩原はそのすれ違う瞬間になって初めて真田広之に気がつき、大きな声で「あっ!」と叫んだ。
・・・気まずい雰囲気が流れる・・・。
真田広之は「こいつは誰だ?頭が変なヤツか・・・・でも、もしかしたら前に会ったことのある大事な人かも・・・」という感じで“石”になりながらひいていた。
そこは萩原。そんな雰囲気おかまいなし、とびっきりの明るい声で「どうも〜。」といっておじぎをしてにこやかに退散した。
・・・みんな恥ずかしかったんだからな。


KO

「冬の旅」は静かな曲が多い。ずっと静かだが「嵐の朝」という激しい曲が突然出てくる。ピアニストはここに至る何曲かが動きが少ないために指が冷たくなり、この「嵐の朝」で良くミスをするのです。
しかし、その日の演奏会では絶好調、「嵐の朝」ももののみごとに決まった。
当日の譜めくりは同級生で、すらっとしたスーパーモデルのようなわがクラスのマドンナである。また彼女は性格もやさしく、よく気がつく。「嵐の朝」は見開きで終わるので、曲が終わってから自分でめくれる曲だった。しかし親切な彼女は曲の終わるタイミングですっと立ってめくろうとしてくれた。それに気づかず絶好調に弾けた勢いで思い切り左手を高く上げたから大変。彼女の顔面近く左ストレートアッパーが見事に決まる。その衝撃で彼女の長い髪がふわぁっと舞いあがり、客席から「これこそ“嵐の朝”だ!」の声アリ?
次の曲は「まぼろし」という曲だったが、とにかくずーっと「ごめんネ、ごめんネ」と彼女にあやまり続けて弾いていた。
ちなみにそのコンサートでは、この「まぼろし」の伴奏が絶妙のニュアンスと絶賛された。


書く前にリクエストしてよ

NHK教育TV「トゥトゥアンサンブル」第1回の時、ショパンの「革命」のエチュードを弾いた。第1回だからポーズを決めてどのカメラを見るか、ちゃんと画面に収まる範囲で動いているか・・・等々、そういった事に目を白黒。特に演奏直後のセリフは息が切れて早口になったりで大変だった。(今はもう慣れたけどネ・・・)
そんな中で「革命」を弾き終えると、ディレクターから「演奏はOKでーす。笑って弾いて下さーい。」の声アリ。一応試みたが、笑いながら「革命」は弾けなかった。
「どーしても笑って弾いてほしけりゃ、ショパンが書くめぇ〜にそう言って下さいヨ」等と言って大受けしたが、最近は舞台で「革命」を弾くたびにこの事を思い出し、笑いながら弾いている。
・・・本番はどんな顔で弾いたか忘れた。


飛ばない白鳥

あるヴァイオリニストは気まぐれに、アンコールでチェロの名曲サン=サーンスの「白鳥」を弾く事にした。知っている曲だし(ヴァイオリンでは)難しくないので、リハなし、練習なし。
しかしコンサートの休憩の時、パート譜を渡したらヴァイオリニストは青くなった。
それはチェロ用でテノール記号(一般のト音記号より1音高い)という、すぐには判読しづらい譜表で書かれていた。
ヴァイオリニストはあわててカタカナで1つ1つの音符の上に音名を書きなぐった。
いざ舞台に出る・・・その字があまりにきたなかったので、こういう風になってしまった。

♪ソ・#ファ・シ・ミ・レ・ソ・ラ・シ・ド|ミ・#ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・#ファ・ソ・・・?

たしかに「ソ」と「シ」は似てるけど・・・自滅ならぬ字滅???


「聴く耳は確かなんだけど」

私の母親は音楽は何も出来ない素人だが、なんせ父親(オペラ歌手)の代から音楽を聴いているのだから聴く耳は確かで、子供の時から私のピアノも聴かれちゃっているのでもっともイヤなお客といったところだろう。
その母がよりによって、ものすごく下手な歌手との共演のコンサートのリハーサルに遊びに来た。
「やめてよ〜!まいったな〜」という感じ。何を言われるかわからないじゃん。
一生懸命事前に今日の歌手のひどさを説明しておいたこともあってか、母のひと言は予想外のものであった。
「ひどいっていうから、どんなのかと思ったらだいじょうぶだよ。私が歌ってるぐらいだよ。」
・・・だから大変なんだという事を母は知っているのだろうか。


演奏経験がモノを言う・・・

ある歌手のコンサート。ピアノ伴奏だけでなく弦楽器も参加する、とてもリッチな内容。
ところが、出演者の都合が二転三転、主催者の都合も四転五転で、日どりは変わる、曲は変わる・・・おまけに共演者も直前になってメンバーが変わってしまった。
第2ヴァイオリンに選ばれた子はまだ学生さん。初めてやる曲ばかりの上にこういった理由でリハーサルなし。ぶっつけ本番であった。
舞台のそでで不安そうに「だいじょうぶかなぁ」と震えるその子に相談されてひと言。
「だいじょうぶ。練習もしてないし、絶対にうまくいかないから。安心して行こう」
・・・ちなみにコンサートは成功した!
やっぱりリラックスが一番よ。


この夏もっともひや〜っとした・・・(1997)

月刊「ショパン」にインターネット特集が組まれ、当方「まさひろくらぶ」も紹介される事になり、制作者の香織ちゃんは大はりきり!!もう1度手直しをはじめた。
私は私で良く考えて
「何かさ、すごいんだよネ・・・大したアイデアも出してないのにみんなにほめられまねされちゃってサ・・・この程度の事でおもしろいって言うなんて、コンピューターいじってる人ってつまんない人なんじゃない」なーんて「くそぉ〜」「それほど言うなら」とみんながカッカ来て、とにかく見てくれるような「たかビー」なコメントをのせてホクホク、ニヤニヤ。だってネ、「みなさまのおかげで・・・本当にありがたく・・・」なんて書いたってありふれてて黙殺されちゃうでしょ。
準備OK!
「まさひろくらぶ」は手直しの間、「大掃除中」の簡単な1枚ページに変わっていたが、すみからすみまで大掃除した香織ちゃんは、「まさひろくらぶ」全編までいきおい余って削除してしまった。

えっ????? !! ◎ ×

みなさま、こうして今ここにコレがあるのは本当に奇蹟です・・・おお、神よ!O DIO!!!

ホームページ制作の全女性にひと言・・・「気をつけよう。中年男 と 削除ボタン」


萩原貴子(3)

萩原はしゃべり方が舌たらず。(ちょっとちびまる子みたい)これがかわいいとおじさんの受けが良いが、失敗も数多い。
先日NHKのディレクターの華山氏がリサイタルを行った。萩原のチケットは私が持っていたのでホール前で待っていたが、来る気配はない。
案の定おくれていて、その頃はタクシーの中だったのである。開演時間がせまって来たので多少いらつきながらPHSに電話した。
「おそいね、今どこ?」
「今?セクシー」・・・???(タクシーだろっ。)
ともあれ間に合ってひと安心。ただ萩原は急いでコンタクトをして来るのを忘れていた。
会場には当然「トゥトゥアンサンブル」のスタッフ、子役のケンとご両親、関係者であふれていた。
その中にケンのリコーダーのコーチをしている北村正彦氏がいた。リコーダーといえばNHK「ふえはうたう」の吉沢実氏が有名だが、北村氏もたいへんな名手で人柄もすばらしくやさしい笑顔の似合う人だ。萩原と北村氏は初対面だったが、そこは『笛吹き』同志、すぐに意気投合して楽しくおしゃべりをしていた。そこへまた知り合いがやって来たので、萩原はおしゃべりの途中で名残惜しそうだったが、「どうもありがとうございました。それではまた、吉沢さん」と言って会釈した。
・・・・・・・・・・・・・・・。
さすがに私はその瞬間の北村氏の顔は見れなかった。(そういえば、紅白歌合戦でそういうのありましたネ)
しかし、当日萩原をもっとも落胆させたのは、プログラムに刷られた曲目に目を通した時だった。そこには男声コーラスによるフォスターの「おおスザンナ」が載っていて、萩原は
「おおスザンナ??」
といって大きく肩を落としたのだった。
「どうしたの?」ときくと
「今までずっと『おーす!旦那』だと思ってたの・・・そういえばそんな訳ないよね、そんな曲が教科書にのったりするわけもないし・・・」と語尾は聞き取れないくらいモゴモゴになり、やがて深いためいきがひとつ。

[注]ところで萩原さんは本当にすばらしいフルーティストである事はお忘れなく!!


「本番よろしく・・・」

ある美人演奏家とツアーをする事になった。
こういう時、マネージメントは同行してくれる場合と切符・ホテルの手配のみの場合とのどちらかになるわけだが、この時は同行せず手配のみという事になった。
北海道ということで某月18日の演奏会ではあったが前日の17日に現地入りして翌々日の19日の朝帰るというタイムスケジュールを、その美人演奏家のマネージャーが言ってきた。
このマネージャーさんは、さらにていねいな事に出発の前日16日にわざわざFAXで「あちらは寒いですが、どうぞ本番よろしく・・・」とメッセージを下さった。
あたたかいお心遣いに感謝し、いよいよ出発の日。ところが飛行機内で何気にチケット等を見ていたら帰りの飛行機が演奏会当日の18日の朝になっていたのに気がついた。「演奏会しなくていいのかな(笑)」
まあ、こういうミスもたまにはあるさ・・・という感じで対応したが、ホテルに着いてみるとホテルもチェックアウトが18日朝になっており、おまけにツインルームが1部屋のみ予約されていた。
もちろんこれはマネージャーの大ミステイクだったのだが、私はその時、マネージャーからのあのFAXを多少別なニュアンスで思い出していた。
「あちらは寒いですが、本番よろしく・・・
きっとマネージメント料は高いにちがいない。


同じ名前で出ています・・・

「トゥトゥアンサンブル」を支えてくれている1人、大原晶子さん、彼女の役目は振付けというか、動きの演出全般だ。ケンもララも彼女の言った通りに動いていて、私もいつもモニターでチェックしてもらって・・・たよりになるステキな人。お人柄も最高。番組的には他に今は「あいうえお」もやっていて、この道ではベテラン。本業は舞台の方で数々のすばらしいアイデアを世に送り出しているワケ。最近私は彼女をオーナーと呼んでいる。
というのは全く関係ないんだけど、新大久保の近くにどちらかというとモダンじゃない感じのいかにも年期とアヤしい気がたちこめているラヴホテル「ホテルオーハラ」というのが(JR山手線に乗っていると)見える。これがネオンが古くなってHOTEL(赤色)オーハラ(青)のうちOTELが消えてH オーハラとなりさらにそのHも点滅している状態が永く続いていた。その事を話したらディレクターの岡沼女史、カメラの史さんはじめ、みんなが知っていて盛りあがってしまった。「あそこで打ちあげ?」とか「カラオケをやろう」とか冗談をいいはじめ、「オーナーどうぞよろしく」という具合で「オーナー」になってしまったのだ。当のホテルオーハラはもうすっかりネオンもなおってしまったのだが、Hが点滅するホテルオーハラの方が好きだったなぁ〜。
そんな話をしていたらディレクターの宮沢さんが、「ところで『ジャジャ丸とピッコロ』っていうラヴホテルがあるのよ」との一言。ジャジャ丸、ピッコロといえば『おかあさんといっしょ』のキャラクターではありませんか。「マネした人形もおいてあるそうで局の方からやめてくれませんかってお願いしているらしいんだけど・・・」

ふつうだったら著作権料をもらってこの際大もうけだ〜・・・という話になるわけだけど、NHKだし、やっぱりやめてもらうしかないんだろうな。
『おねえさんといっしょ』ならアイデアは悪くないけどネ。
『おかあさんといっしょ』はコワイ・・・。


なぞのおばさん

ヤマハ銀座店で行われた市川倫子さんとのイベントは、本当に押すな押すなの大盛況に終った。私自身も「キーボーズがこれほど有名になっているのか」という初めての触感を感じたのだが、
私のお弟子がおばさん2人が大マジメで会話しているのを聞いた。
「うん、すごいピアニストだね。」
「えっ、そうかしら」
と言って首をかしげたおばさんの方が3,4秒の間を置いてひと言。
「まあ、アシュケナージよりはうまいと思うけど。」

何者なんだよ、このおばさんは。


チョコっと失敗

広報部長からモバイルをもらった。高価なものをいただいてしまったが、これがなかなかおもしろい。大体忙しい時に限って新しいゲームソフトを買ってはまったり(うちはセガサターンです)こうしたものが手元に来たりするものだ。
おかげで譜読みができなくなり編曲が3日遅れ年賀状が4日遅れ、コンサートも2つは犠牲になったかも。
もともと特に演奏会の後は荷物が多いので、皆さん身体1つでおいで下さいとお願いしていることもあり、貰っても小さなクッキー等が多い。広報部長は何度か生チョコをくれた事があり、これがそれと知らずに放置してドロドロにしてしまった経験がある。
人間というのは1度した失敗を学習するものである。かくして生チョコサイズのモバイルの包みは、丁寧に4日間冷蔵庫にて保存されたのであった。
アララ(plala)そんな失敗しちゃって・・・
駄ジャレも凍る、気がメイル・・・。なんちゃって。


007?まさひろ・ボンド危機一髪

最近寝る時間がない。大体朝4:00までいろんな事をしているのだが、間に合わないのである。これは要領が悪いのか用量が多いのか(シャレのつもり)。これに加えて、食べる時間も無くなってきた。銀座の町中をコロッケパンをくわえて疾走したりするのはまだしも、中央線で(立川から東京の通勤電車内で)駅弁を広げて食べていたのは、かなりのひんしゅくモノだった。
大体「迅速な対応・事務的能力抜群・時間正確」という3Jについては定評があり自信もあったのだが、その神話も崩れつつある。とはいえ武田忠善とならぶ悪運の強さは健在で危機一髪で乗り切っている、そんなエピソードをいくつか・・・。

ここのところ多いのが寝坊。家から東京駅までは30分だからすくわれている。ぎりぎりになったこと2回。それはいずれも朝8:00の列車に乗ろうとした時。いつもは目覚ましは6:50にかけておく。すなわち40分で支度してゆったりのご出勤というわけだ。だが目覚ましを無意識にとめて寝入ってしまい、7:25に目が覚めた。「間に合わない〜」と絶叫しながらボサボサ頭にひげのまま、楽譜と衣装の最低限の荷物をつかんで(なぜか売り物のCDだけは忘れる事なく)外に走りでる・・・タイムは7分。短距離は学生時代選手だったので足は遅くない。はぁはぁぜぃぜぃで東京駅に何とかセーフ。馬鹿丸出しだが7:25に起きたところが運強い。

伊万里での演奏会は、実は前日から入るスケジュールだったのだが、フックスさんがレコーディングをするかもしれないということで、当日入りになった・・・のはいいが朝6:25の飛行機(おまけにレコーディングも延期だ)。家から羽田まで余裕をみて1時間5分、つまり5:20には家を出るということは、普段4:00に寝る私は寝ない方がいいってことですか?・・・と昔のあべ静江の様に歌いかけたくなる行程だ。前日はとりあえずはやく寝て3:15に起床、30分で支度してゆっくり朝食、おまけにピアノを弾いたりしてから出発できるじゃん・・・というわけで前日20:00就寝。
・・・夜中の1:00に電話がなる。この時間帯は通常はお電話タイムなので驚くことはないが、お弟子や萩原貴子、家田紀子、武田忠善、平林香織さま等々の誰かだったら今日だけは失礼させていただくつもりだったが、軽部真一氏だったので話し込んでから再就寝。
・・・目覚ましが鳴った、そしてとめた、ちょっとだけ(のつもり)う〜んムニャムニャ、そろそろかぁ〜と起きて時計を見たら何と5:20。すでに空港へのご出発のお時間・・・とくれば、その戦争の様な身支度とあわてぶりがどれだけのパニックだったかは大いに想像していただきたいのですが、早朝だったので家からタクシーで30分で空港到着。散財したけど、でもよくぞ間に合った・・・寝過ごしたとはいえ、よく5:30前に目が覚めたものじゃ・・・強運強運、パチパチ(拍手)。

仙台に行く折、いただいた新幹線の切符は東京からだったけど私は上野が近い。上野から途中乗車するのがほとんどだが、その日はたまたま「うなぎ弁当」が食べたかった(私はうなぎが好きで、1日3食うな重の時もある)。ところが上野駅だと「あなご弁当」はあるが「うな弁」はない。その辺は妥協しないので「うな弁」のためにその日はわざわざ東京から乗った。私が座席について「うな弁」をいそいそと開いて、うなぎにたっぷりとタレをかけた頃、その新幹線は上野駅には停まらず、見事走り抜けていったのでありました・・・。
えっ、うそ・・・こんなノンストップ号があるなんて・・・本当に知らなんだ・・・(目が点・真っ青・手から山椒が落ちる)。
う〜ん、まさひろ危機一髪・・・まるで007みたいじゃありませんか?

後は次々とボンドガールの登場を待つだけだ。


1999年3月7日

茅ヶ崎市楽友協会のKさんと人材派遣部長が結婚した。


その後のあの人

人材派遣部長と茅ヶ崎のK氏は結婚した・・・ことはお伝えしたが、ご両人、目にもとまらぬ早業でこの(99)夏に男の子を製造した。その名付けにもかかわったので色々心配もしたが、とってもかわいい元気な子と聞き、まずはひと安心。しかし最近は病院も安心できないミスもあるし、なんせあの人材派遣部長の事だから、まだまだ不安な感じがするのである。電話をかけてとにかく大事にする様に言いまくっているのだが・・・

斎藤「良かったね、元気な子で。あなたも無事で何よりだし・・・」
人材派遣部長「ありがとうございます。先生に心配してもらえて何かうれしいな。」
斎藤「とにかく気をつけな。“産後のひだち”が云々・・・ってこともあるからね。」
人材派遣部長「えっ、“さんまのひらき”ですか?いいですね、それ。」