NHK教育 「趣味悠々」
〜いますぐ始めるお父さんのためのピアノ講座〜
生徒の飯岡樹さんと田中英雄さんから届いた感想文をご紹介



ああーピアノ、奥行き深きかな


―趣味悠々「お父さんのためのピアノ講座」出演顛末記―

「趣味悠々」生徒3号 いいおか いつき


8月のある日、突然電話があった。「NHKの仕事をしていますテレビマンユニオンのプロデューサーの某ですが、この度教育テレビの趣味悠々で、ピアニストの斎藤雅広さんにお願いして「お父さんのためのピアノ講座」を放映することになりました。この番組は、生徒4人にそれぞれレッスンします。そこで突然ですが、生徒の1人として出演していただけませんか。何人かの方からご推薦がありましたので……」
内容を聞いてみると お父さん向けのクラシックピアノの講座はNHKでも初めての試みであること、定年を迎え趣味に熱心な人が増えていること、この講座はこれから始める人向きのもので課題曲はゆっくりした大人の曲にしたいこと、期間は10月〜12月の3ヶ月間、収録は生徒がサラリーマンなので日曜日になることなどであった。
ゴルフシーズンだし、自己流のピアノでTVなんてとにかく恥ずかしい、どうするか悩んだが、仲間に話をすると「それは二度とない機会だぞ、ゴルフなんていつでも出来るじゃないか」この言葉に意を強くして、それではやってみるかということになった。

出演する事にした理由は他にもある。ちょっとオーバーだが、今の日本には娘さんが結婚して、その住まいがマンション、ピアノは実家で埃をかぶっている――そんな家庭が結構多いのではないか、せっかくの資源を有効に再活用する事にも繋がるし、仲間が増えれば楽しい。
それに、教え方の視点が大人の情感をピアノで表現する事に重点を置くということだ
子供のピアノ教育のようにバイエルからやらされたら誰もついてこない――そんな時間も根気もない。若干たどたどしくてもうまく情感の表現が出来れば、バーで飲んでいて、ちょっとピアノの前に座って、仲間にオーと言わせられる。あまり努力しなくても可能なら、これは魅力的である。

この番組はNHKから依頼されて技術集団のテレビマンユニオン社が担当するとのことで、そこの担当のプロデューサーの三室さんと親泊さん
が説明に来られた。
生徒は30代 40代各1人、60代が2人。私は最年長だった。与えられた課題曲は30代の生徒(田中さん)はピアノを始めて5ヶ月と言うこと、サティの「ジムノペティ1番」、この曲は荘重な和音でゆったり弾くほど印象に残る。40代の生徒(村井さん)は小学校のときに習い、時々弾いているとのこと、リー&バーグ作曲、斎藤さん編曲の「ラ・ラルー 」、ディズニーのわんわん物語のテーマソング、斎藤さんの編曲が楽しみ。
60代の私はショパンの「ノクターン第2番」、映画「愛情物語」のなかでエディー・デュウティンが弾き、一躍有名になった曲、旋律がロマンティックで美しい。もう1人の60代は大学時代まで習っていたという正統派(大木さん)、ドビッシーの「月の光」、初期の「ベルガマスク組曲」のなかの1曲で印象派らしい、情景が目に浮かぶ名曲。いずれも、大人が情感を表現するには最適な曲と思う。

収録は9月の中旬から始まった。10月から12月までの毎週水曜日放映だから13回になる。これを9月から11月の5日間で収録する。収録場所は日吉の綱島街道沿いにあるヤマハ音楽院のスタジオで3日、磯子のテラノホール――お寺の音楽好きの住職がホールを造った、それで名前もテラノホール――で1日。最終の収録は11月24日、家族知人を聴衆に練習の成果を披露する小コンサート。場所は大森の山王オーディアム。個人が造ったものか?世の中には色々な人がいる。収録は1日で3回分の収録するため午前11時から延々と夜の7時過ぎまでかかった。
スタッフは10人強、カメラが4台、録音の係、細かなことをこなす人達、それにプロデューサー。他にピアノ調律師。こういう仕事は一旦プロジェクトが生まれるとスケジュールに追われ、土、日も時間もお構いなし。大変な仕事である。
照明は考えていたほど強烈ではない。それは機器が進歩したこともあるのだろう。従って白っぽく写らないようにするためのドーラン化粧は一切なし。4台のカメラの映像がプロデューサーのモニターに分割された画面に出る。時には写そうと考えた部分をいずれのカメラも捕らえていない事が起こる。楽譜の裏側の広告が写ってしまったので撮り直し(NHKらしい)。そんなNGも出てくる。とにかく時間のかかるものである。参ったのは本番になると雑音が入るのでクーラーを止めることだ。だんだん熱くなってくる。
加えて苦労したのは1日の収録で放映3回分を撮るわけだが、一人のレッスンの3回分を撮る訳にいかないことである。レッスンが進むにつれ上手になっていかなければおかしい。そのためには生徒に練習の時間が必要である。その結果、放映の順番と違う収録になる。つまり1日の収録でAさんの1回目とBさんの1回目とCさんの1回目を撮る。次の収録も同様。ところが放映はAさんの1回目、2回目、3回目とやり、Bさんの1回目はその後。この結果同じ1日の収録で1回毎に放映の時期である1ヶ月も2ヶ月も先の季節に合わせて着替えしなければならなくなる。それに秒単位の刻みの放送ではやむを得ないことであるが「本番です。5秒前、4,3,2,1,ハイ(これは手の合図)」これをやられると急速に緊張感が高まり心臓に良くない。あまり経験したくない。
録画だからやり直しがきくのだろうと高をくくっていたがこれが甘かった。制作側としては生徒はいわば全国の視聴者のモルモット。目的は全国の視聴者が如何に面白く見るかということ。当然素人にミスは付き物。撮り直してミスが消えてしまうと臨場感が無くなり、しらける。これでは番組としては失敗ということになる。そこで基本的には一発勝負となる。しかし出演している当人としては初めての経験で緊張していて実力が出ない。もう一度撮ってほしいとの思いがある
。辛い。もう一つ同じ観点からやらされたのはその日にレッスンのポイントが何か事前に一切知らされなかったこと、事前準備がないのはしんどいものだ。
ところで収録は放映される時間から考えると何倍もの長さのものを撮っている。それをディレクターの考えで取捨選択され編集される。従って実際に放映されるまでどんな風に出来上がっているのか全く判らない。いつも不安な気持ちでTVを見ていた。

その感想であるが、ピアノの下手なのは仕方がない。問題は自分の態度、動作である。これが見るに耐えなかった。腰掛けているところ、歩くところ、何もしていないときの表情、先生の説明を聴いているときの態度、弾いている時の姿勢等々。
加えて言うと私は残念ながら、すっかり頭の毛が薄くなっている。ピアノの撮影とは酷なもので、鍵盤と弾いている指を撮すために私の後部から撮る。私の後頭部は見られたものではない。本人が想像していたよりひどいものであることを味あわされた。とにかく穴があれば入りたいとはこういうことなのだろう。
考えてみると役者は別として男は女性と違い姿見に自分を映し、チェックするなんてしたこともない。客観的に自分を見たのは初めての経験である。男も仕事のためにも、――女性に好感を持たれるためにも――立ち居振る舞いをチェックすることが必要だと実感。

この番組の斎藤さんは本当に素晴らしかった。斎藤さんは現役のバリバリのピアニスト。テクニックが凄い人は他にもいると思うが、情感の表現力がこれだけある人は滅多にいない(表現力以前に豊かな感受性を持っている事があって初めて出来ることであるが)。
それが外国の一流の弦楽四重奏団や一流の歌手から名指しで共演を依頼される所以だと思う。おまけに天性の明るさ、駄洒落を入れながらのウイットにとんだ語り口、これがクラシック音楽にあまり興味のない人や、ピアノを弾くことを特に考えていない人達をも惹きつけた。

毎回のように、レッスン中に愉快になったが、とくに面白かったのはスラーを眉毛(形が似ている)に例え「曲は眉毛次第」とやったこと――美人は眉毛次第といわんばかりに。
仲間にこんなことを言う のがいた。「いつも漠然と音楽を聴いていたが、作曲家はそんなに譜面上で情報提供をしているのか」とか「ピアノを弾くって随分色々なことを考えながらやっているんだなあ。これからは音楽の聴き方が変わると思うよ」。
この番組はクラシック音楽の愛好者を増やすことにも貢献したのではないだろうか

私のレッスンの放映が終わって数日後、MMホールに室内楽を聴きに行った時のことであるが、休憩時間に見知らぬ婦人から声を掛けられた。「失礼ですがテレビのピアノ講座に出られている方ですね…」と。
遠方の友人や10年以上会っていない友人からも電話や手紙をもらった。もっとも私のピアノについて言及したものは少なく、「おまえも老けたな」とか「服装が渋すぎる、テレビは色彩だぞ」とか「おまえのあんなに素直な態度は初めて見た、知らなかった一面だ」などなど。
いずれにしても全国放送の凄さと音楽に関心を持っているとは思われぬ人から「見てるぞ」と声を掛けられ、けっこう視聴率も高いのではないかと思われた。

斎藤さん労作のテキストブックも出色である。
鍵盤のどの位置が楽譜の音符 と符合するかを写真で一音ずつ示した本なんて今までに無いのではないか。また曲想を説明し、それを表現するためにはどの部分をどう言う想いで弾くべきかを譜面上に事細かく記載してある。これなら素人のピアノ弾きに大変参考になる。朝日新聞も読書欄で取り上げ「このテキストはお父さんに慈愛の指導」と評価している。

アシスタントの奥山ちゃん、紅一点の彼女は明るく、この番組の親しみ易さづくりに欠かせない役割を演じ、私たち素人の緊張感を和らげる雰囲気をつくってくれた。彼女は実にカンがいい。この番組は進行のあらすじはあるが、応答はすべてアドリブ。斉藤さんが思いついてしゃべると即座に当位即妙にうまい受けをする。ピアノに詳しく、結構弾くのかと思ったが、お得意の曲は有名な「ねこ踏んじゃった」である。

生徒のキャラクターも一人づつ違い、これも楽しかった。最初の田中さんは外資系キャピタル会社のポートフォリオマネージャー。2人目の村井さんは農学博士でベンチャービジネスを展開中。4人目の大木さんは旅行エージェントのコンダクター。私は銀行マン。経験も性格も違い、休憩時間は話が弾んだ。思わぬ友人が出来たといえる。


私は中学、高校の4年ほどは先生に付いたが、あとは勝手に一人で弾いていたので、今回のレッスンは新しい発見も多く、大いに勉強になった。

ノクターンの左手のリズムと1,2,3拍目の強弱――1拍目にアクセントを置き、2拍めは若干弱く、3拍目はかなり弱く弾く。右手のメロデーの最初が左手の弱音の3拍目と合うところが多く、なかなか難しい。しかし確かにショパンらしさをだすのには重要だ。
テンポ・ルバートの考え方――斎藤さんがルバート(感情を表現するために、早さを自由にするの意)を「盗まれた時間」といったがまさに至言。曲のイメージを壊さないための限界がある。過去の名演奏を聴くとルバートで全くテンポを無視している演奏に出会う。当時の楽器の性能(たとえば強弱の限界)、時代の好みなどにより変化しているものか。
スラーへのこだわり――スラーの意味は判っていたが、作曲家の意図を深く追求してみる、そして自分なりにそれを実現出来るように弾く。このことは今後大切にしたい。
自分のピアニッシモの限界を認識すること――タッチの微妙さは確かに個人差がある。自分の音の出る限界のタッチを体得しておくことにより、たとえば数小節にわたるフォルテからピアニッシモへの流れをスムーズに弾くことができる。練習しよう。
聴衆を飽きさせないための工夫――同じメロディーは同じように弾くな。曲の構成組立を考えるときの重要な要素だ。
ペタルの活用の仕方――特にペタルに重点をおいて教えてもらった。音の濁りを極力排除する事を意識する。これはその曲の練習の当初に該当個所をきちっと認識して、練習の時から踏む箇所を決めるのが良いように思われる。等々である。

「おまえのピアノは一皮むけた」と言われるように努力してみたい。

斎藤さん有り難う。感謝しています。

プロデューサーの三室さん、親泊さん、スタッフの方々、素人相手にご苦労が多かったとおもいます。有り難うございました。     

                              1999・師走






『しまった! ペダルが・・・・』

「趣味悠々」生徒1号 たなか ひでお


このままでは家に帰れない。こんな泣きそうな顔を家族に見せる訳にはいかない。なんとか気分を変えて笑顔で収録初日の結果報告をしたい。それともいっそのこと、番組を下ろさせてもらうべきだろうか、いやいや待て待て、そんなことをしたら、多くの人に迷惑をかけてしまうし、一旦引き受けたことはなんとかやり遂げねば...これが、初日の収録が終わってスタジオを出たときの、偽らざる私の心境でした。これほどペダルでてこずるなどとは予想もしておらず、ガックリきてしまったのです。初心者対象とのことだったので、いきなりペダルはないだろうとタカをくくっていたのが裏目に出た結果です。翌日から1週間、ピアノの前に座ることすらしませんでした。

家族の励ましで、なんとか気を取りなおし、1週間後、特訓を始めました。週1回30分のレッスンを週3〜4回ほどに増やすとともに、義母と妻が貯金をはたいて買ってくれた消音機能付きのピアノを殆ど毎日午前1時ぐらいまで練習しました。

この3週間の特訓の甲斐あって、第2回目の収録では斎藤先生にもお褒めいただき、少し自信が出てくるとともに、自分はどんな風にジムノペディを弾きたいのかを考えるようになりました。他のピアニストのジムノペディからも学ぼうと思い、レンタルでいくつか借りてきましたが、やはり最高だったのはTVで弾かれた斎藤先生の演奏でした。他の方の演奏はどうも無機質な感じで、斎藤先生のような情感が表現されておらず、聴いていて面白くないのです。飯岡さんも感想文のなかで書かれているように、斎藤先生の表現力は抜群で、番組の中でも、特に「あなたが欲しい」のイメージ表現で、百戦錬磨のプレイガールが始めて本当の恋に落ち少女のようにそわそわもじもじしてしまう、といった気持ちを演奏した、あの肩のはいった演奏は圧巻で、すごいなぁ、ピアノってここまで感情表現できるんだなぁ、と驚いたものです。もちろん、先生とそっくり同じになど演奏できるわけもなく、出来る範囲でどう自分なりに弾きたいかを検討した結果、和音に神経を使いながら左手を右手よりかなり弱く弾くこと、またテンポや間を譜面から逸脱しない範囲で自分なりにゆ〜っくり演奏することにしました。最初にもっとも悩まされたペダルのことなどまるで考えていませんでした。勝手に足がペダルの操作をしてくれる程練習したおかげです。そして、左手を弱く弾く事と和音に重点をおいた練習を始めました。

そして迎えた発表会当日。本番前にちょっと練習しようと思い、ピアノの前に座ったとたん、今までの収録とは比較にならないプレッシャーを全身に感じ、手の震えが止まらず、本番でうまく演奏できるかどうか心配になりました。ただその一方で、スポットライトを浴びて人前で演奏する緊張感はなんとも言えず、下手すると病みつきになるかも...なんちゃって。

最後の1音となったとき、なんとペダルを早く上げすぎてしまいました。
    『しまった、ペダル早く上げすぎたっ!』
それがあの演奏直後の表情です・・・ペダルとは長い付き合いになりそうです。

今振り返ってみると、長いようでとても短い3ヶ月でした。私のような生徒にレッスンをしなければならなかった斎藤先生は本当に大変だったと思います。予定したところまで私が練習してきてない、ペダルがなかなかできない、収録は全部で2回しかない、譜面も読めない、どの鍵盤がどの音なのかさえ把握していないなど、まさに途方にくれてしまわれたのではないでしょうか?

スタッフの方々も、発表会の日までなんとか弾けるように猛特訓してきてほしい...と祈るような気持ちでいられたことと思います。演奏後、斎藤先生から6年分ぐらいやったのではないかと持ち上げていただき、恐縮するとともにこの番組に出演させていただいて本当によかったと思いました。はじめての発表会が全国放送される。なんと光栄なことでしょう。

最後に、発表会まで励まし続けていただいた大木さん、飯岡さん、村井さんやスタッフの方々、家族や増本先生、そしてもちろん斎藤先生と奥山さん、また、HPで声援をおくってくれたBassanさんやHarryさんをはじめとする方々、本当にありがとうございました。

P.S. 今、「悲愴」第2楽章を練習しています。(またまた無理をお願いしています。)
ため息は
1小節づつ、ゆっ〜くり気長にやってます。


                                   (2000.1)