主な共演邦人アーティスト

発行:(株)ショパン/TEL:03−5721−5525

2008年12月号 INTERVIEW 斎藤雅広
2008年12月号 鍵盤の魔術師 ウラディーミル・ホロヴィッツ
2008年9月号 日本人とコルトー版、今昔物語
2008年2月号 若きピアニストへのメッセージ
2007年12月号 和やかで、楽しくて、ユーモアもたっぷり!斎藤雅広30周年記念コンサート
2007年7月号 「Pianist/One day」 no.142 人形町を食べ歩いてます
2006年8月号 斎藤雅広が教えます 譜めくりの極意とは!
2006年8月号 新トリオ名が誕生しました!
2006年3月号 クラシック VS ジャズ で ピアノ決戦!
2006年3月号 音楽マンガの世界に浸る
2005年8月号 カッコよく、初級ピアニスト!
2005年5月号 「ピアニスト質問斬り」
2005年4月号 「プロに聞く指トレーニング」
2005年3月号 「ショパンのエディション、どう使う?」
2004年11月号 「私にとってのショパン」
2004年4月号 「だから弾きたい『イスラメイ』ピアニストにきくこだわり・ポイント」
2003年11月号 「だから弾きたい『ドゥムカ』ピアニストにきくこだわり・ポイント」
2003年4月号 「Pianist/One day」No.93  町を徘徊してます
2003年4月号 「Pianist Special Interview One day」
エンジョイ・ライフこそ人生のモットー!
2003年4月号 「表紙の人」56
2003年3月号 「ピアニストにとって−されどエチュード」
2003年1月号 INTERVIEW / 巨匠へのファンレター
2002年10月号 「だから弾きたい『ワルトシュタイン』」
〜ピアニストにきくこだわり・ポイント
2002年9月号 INTERVIEW / めざすは〈心配されるピアニスト〉
2002年3月号 「ピアニストの近況」
2002年1月号 「一冊の楽譜」<57>〜ピアノ五重奏曲Op.81
ドヴォルザーク(ジムロック社)
2001年1月号 「インタビュー」〜ピアノで贈る《大人》の味わい
2000年7月号 「ピアニストにとっての『舟歌』」〜心のひだが描かれた作品
2000年4月号 「とことんワルツ(嬰ハ短調作品64−2)
〜このワルツに惹かれる理由」
1999年2月号 「ショパン24のプレリュード」〜各々の曲に広がる物語世界
1999年2月号 「私の好きなピアノ」
1998年11月号 「ピアニストがふりかえる日本の音楽コンクール」
〜コンクールの光と影
1998年10月号 「ピアニストにとっての名曲の魅力」〜乙女の祈り
1998年3月号 「音楽・・・愛と別れと出発と」
1997年12月号 「Pianist/One day」
1997年10月号 「ピアニストに接近!ピアニストのHome Page」
1997年6月号 「みんなの音楽〜音楽を知る」
・・・NHK教育テレビ『トゥトゥアンサンブル』
1997年5月号 [特集T/レコード見せてください・・・ピアニスト5人に聞く
「私のレコード」これが私の愛聴盤です]
1997年1月号 [特集U/ピアニストになりたい!!
・・・どんな人がピアニストになれるのだろう?]
1996年10月号 「PianoCONCERTALK」より
1996年3月号 「ピアニストの部屋」・・・陽気な芸大のホロヴィッツ
1996年以降の掲載を紹介しています


2008年12月号 p.15

INTERVIEW 斎藤雅広・・・・3人でパワーも3倍に


 昨年がデビュー30周年という節目の年で、『豪華スター競演によるフランス音楽の夕べ』記念コンサートを開催。その模様を本誌でお届けしたことも記憶に新しいが、さて、今年はどんな年だったのだろう?
「今年の活動のメインは『ザ・スーパートリオ』でしたね。昨年の記念コンサートでも、いろいろな方をゲストに迎えて共演したけれど、僕はもともと人と一緒に演奏するのが大好き。にぎやかに楽しくやるのが大好きなんです。ピアノはどうしてもひとりきりでのソロばかりになりがちだけれど、縁あって知り合った音楽家たちとのアンサンブルも大切にしていきたいと思って・・・・」
 そもそも、この『ザ・スーパートリオ』の発足は5年前。ソプラノの足立さつきさん、クラリネットの赤坂達三さんとの3人でのユニットだ。ソロでそれぞれ活躍する3人の名手が集まり、楽しいおしゃべりとすばらしい演奏を届けたい、との願いから始まり、次第にコンサートの数も増えていった。そしてついにはCD発売の運びへと発展。
 とはいえ、3人ともソロ活動でも忙しいから、スケジュールを合わせるのも大変そうだが・・・。
「そう、大変と言えば大変。でも、3人のスケジュールを合わせることができて、いざ演奏会をやるとなると、これがもう楽しくてね。この3人なら、演奏のパワーが『割る3』にならなくて、ちゃんと『掛ける3』になるわけ。技術的なことで言えば、音域もそれぞれ重ならないから、各楽器の利点を活かすことができるんです。僕も赤坂くんも『引退しても、このトリオだけは絶対続ける』って言ってるくらいに、楽しい。もっとも、足立さんは『引退したら、それはもう(演奏)できないってことよ』って冷静に言うんですけどね(笑)」
 もう20〜30年前になるだろうか、ライザ・ミネリ、フランク・シナトラ、サミー・デイビス・ジュニアの3人でのトリオのステージがすばらしかったという思い出があり、彼らのように、各人の持ち味を活かした大人のトリオとして、この『ザ・スーパートリオ』も熟成させていきたいのだそうだ。
 新発売となったCDは、コンサートでいつも演奏しているレパートリーを中心にしており、『カルメン・メドレー』、『ポギーとベス・メドレー』、『ワルツ・ファンタジー』、『ラテン・メドレー』等々、楽しく且つ盛りあがる名曲がずらり。編曲については、他ふたりの意見を採り入れつつ、斎藤さんが一手に引き受けているが、
「編曲については、コンサートとCDでは書き換えた部分もあります。それぞれに良いので、僕としては、どちらも楽しんでほしいですね」
とのこと。
「睡眠不足で3時間睡眠ですよ〜」と言いつつ、相変わらず満面の笑みで、
「お客さんが求めてくれるかぎり、ベストを尽くして演奏していきますよ!」
と斎藤さん。そのパワーはまだまだ止まるところを知らない。



2008年12月号 p.93

鍵盤の魔術師 ウラディーミル・ホロヴィッツ
辿ることができる神の道 『ピアノの神様』として君臨しえた理由


ピアニストの斎藤雅広さんは東京芸術大学に在学中、『芸大のホロヴィッツ』と呼ばれていたといいます。ホロヴィッツにたとえられたピアニストから見た偉大な芸術家は、いったいどんなピアニストだったのでしょう?

 ホロヴィッツがピアノの神様として君臨しえた理由を振り返ると、いくつかの理由がある。
 晩年はペダルと間合いによる独特な味わいが魅力であったが、もともとは指を伸ばしたユニークな弾き方から繰り広げられる(実際は大音量ではないのだけれど)爆音のような音質感、指のスピード感とその効果を増徴させる音色の魅力にまずは打ちのめされる。
 もちろん現在となってはホロヴィッツの演奏技術が最高ではない。現代のピアニストたち、ラン・ラン、ヴォロドス、ガブリリュク、アムランなどなど、彼らは身体能力的に完全にホロヴィッツの上である。ところが彼らがホロヴィッツ編曲の作品等を弾いて、演奏的にホロヴィッツを超えたことはない。それはなぜか?
 ホロヴィッツは何よりも、音楽の構成力が巧みであったので、聴かせどころを心得ていた。また聴いたときに何が効果をもたらすかの判断力、技術的にも音楽的にも自分自身にカスタマイズさせる能力がずば抜けていた。逆に言えば、難しいパッセージを恐ろしく速く弾いていても簡略化して弾きやすいように直していたし、ミスタッチも多かった。それがマイナスにならないのは、音楽の表現力の大きさを優先させ、ミスをも恐れずに思いきり弾こうとする気概ゆえ。
 むしろ確実性を大事にする最近のピアニストのほうが、これでぐっと野暮に見えてくる。
 全盛期の何回かの引退や演奏活動の休止等も、神格化に拍車をかける。凄いが簡単には聴けないとなれば価値も上がる。また60年代にカーネギーホールでの『オンTV』といわれる演奏会が全世界に流れたのは、さらに神の行事のような重さがあった。聴きたくても聴けないピアニストだったから、露出が多かった晩年はともかく、全盛期の彼のイメージは「壮年期での伝説的な活動」と「録音」を通じて作られたともいえる。だから彼の魅力を知りたければ、その名演の録音をこまめに辿っていくことでも、成就することができるということだ。
 おそらく最初に世間を驚かせたのは『パガニーニ練習曲第2番』の剃刀のような演奏だろう。もちろん当時EMIのリストのソナタやラフマニノフの協奏曲にも充分なほどの驚きがあったろうが、この短いエチュードにはもっと端的にホロヴィッツの個性が光っている。その後のおもな凄演は、モノラル録音では、ムソルグスキー『展覧会の絵』、ショパン『葬送ソナタ』『バラード第1番』『マズルカ(スタジオ)』、リスト『葬送』、ラフマニノフピアノ協奏曲第3番(ライナー)、チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番(ワルター、ライブ)、『25周年ライブ』、ソニー・ステレオ盤でシューマンの『クライスレリアーナ』、ラフマニノフのソナタ第2番、スクリャービン、スカルラッティなどなど、晩年RCAのリストのソナタ、最晩年はつい先日『ハンブルグのラストライブ』が発売されたが、『ベルリンライブ(CDRで購入可能)』がすばらしい。このあたりは絶対に聴いておくべきものだが、実際にはまだまだ未発表の公開演奏が多く眠っている。私の手元にもバラキレフの『イスラメイ』やリストの『波をわたるパオラの聖フランシス』があるが、世間をあっと言わせる演奏や新しいレパートリーが、これから陽の目を見ていくことは明らかだ。
 彼自身の編曲ものも最近はネットで楽譜が手に入るので、よりポピュラーになってきているが、演奏では『ハンガリー狂詩曲第2番』や『ラコッツィ行進曲』がとくにすばらしい。有名な『カルメン変奏曲』も演奏は現在手に入るもので8種類はある。弾いている映像もDVDで手に入るので、ぜひご覧いただきたい。全盛期のホロヴィッツで驚くことは「かなり一生懸命弾いている!」ということだ。
 タイムマシンに乗って聴きに行けたらどんなに良いだろう!ホロヴィッツはかつてのあのコルトーの指揮でラフマニノフの協奏曲を弾き、アンコールで『スカルボ』を弾いたりもしているのだから。



2008年9月号 p.94

日本人とコルトー版、今昔物語

世の中にはたくさんの楽譜や版が存在しますが、コルトーが校訂した楽譜『コルトー版』とは、いったいどういう位置づけなのでしょうか?ピアニストの斎藤雅広さんに語っていただきました。

 ひと昔前の日本でのコルトーのイメージは、その芸術性の実体より、かなり歪められて いたように思う。たとえば、コルトーがベートーヴェンのソナタの大半を録音していたらしいなど、調べればすぐにわかる情報すらも途絶えていて、そんな中で音楽家としてのポジ ションが決められていた。しかし現在は、コルトーの時代に至るまでのもっと古い時代の演奏にも簡単に触れられる環境にあり、コルトーの演奏が個性的でアクの強いものではなく、充分に伝統的なスタイルからなるものだったことも、正しく享受できる。そして彼の秘蔵の録音、マスタークラスの録音などの復刻も、さらにそれを確かなものに証明したが、 伝統の流れを見出せたぶん、独自な強い魅力の部分は薄まった。同じくコルトー版もまた、 和訳と適正な価格が提供されるに至り、身近にはなったがありがたみも消えた。今コルトー版をメインで使用して、レッスンに持ってくる学生は少なくなっているのが現状だ。
 昔はフランスの出版社からしか購入できず、高価で貧乏学生では手が出ない憧れだった。 それはコルトー版が日本において、別の付加価値も持ってしまった所以でもある。英訳が出て安くなり、コルトーの細かい指示の意味も解読できるようになると、ショパンの練習曲、 バラードは決定的な楽譜として、争うように誰もが持っていたし使っていた。レッスンでも推奨されるようなことが多かったはずである。こうした経緯によって大きな誤解が生まれる。
 この版ではコルトーの独自の解釈、演奏の秘密が書かれているなどと、未だに思っている人がいるのだろうか?難しいパッセージの分解練習や、効果的な指遣いの呈示も多くあり、 いかにも個人的な解釈本の印象を強く受ける。しかしこれが真逆で、コルトー版は実用版なのである。だからこそ練習方法が載っているのだ。コルトーは慣用的なことを多く語り、 多くのピアニストたちによってどう弾かれてきたかの伝統に基づき、コルトーの視点から弾きやすさを考えて、音やアーティキュレーションも原典を切り捨てた。文体はとても芸術的で詩的な表現が多いが、もともと芸術作品の実用本ならばそうあるべきであり、これもまた誤解を呼ぶ1点かもしれない。
 たとえば『黒鍵のエチュード』の冒頭のペダリングである。指に負担がかかるが、正しい弾き方はペダル無しが良い。軽やかに左手も多彩に弾けるし、右手も細かい音譜が明確に表情がつく。コンクールなどで才能を感じさせない多くの演奏は、2拍目すなわち左手の チャンチャンチャンの3番目のチャンで1拍分を踏む者。この2拍目で踏んでいくやり方は、 和声のスワリが良く右手も崩れにくい。が、2拍目に毎回アクセントがつき表現がワン パターンになり、右手にも表情がつかず幼稚となる。パデレフスキー版では1拍目で踏む ことを推奨しているが、こちらの方がずっと音楽的だ。それでも譜面に書いてあるほどは長く踏まない方が良い。別には1拍目と2拍目に短く2回踏むやり方もあるが、やはり 2拍目のアクセントが痛い。なのに私たちが学生のころ、日本の先生のほとんどが常識のようにして、2拍目に踏むあやまったやり方を生徒に強要していた。これが実はコルトー版のペダリングなのである。
 そしてコルトー自身はそのペダリングで弾いていない。特定した踏み方ではないものの1933年の録音からペダル無しが基本である。それが前述のように、この曲を弾く最も良いやり方であることを、巨匠コルトーが知らないはずがないのである。ここにペダルを つける理由はただひとつ、右手の安定のためである。つまりコルトー版というのは、演奏の能力の低い弾けない学生のための本であって、コルトー自身の解釈を得るための本では ない。そう定義付けると実に面白い楽譜である。別の練習曲作品10の10では、もともと アクセントの位置をどこに置くかの練習であるのに、コルトー版はその位置すら大雑把である。しかし弾いてみれば冒頭など、コルトー版のアクセントのほうが弾きやすい。が、これも コルトー自身の演奏にはまったく反映されていない。正しくはこの楽譜の中から、その種の メッセージを読み取り、落とすところは落とし使えそうなものは使う作業が必要だ。コルトーがコルトー版のようには弾かないのであるから(笑)。
 安く身近になったこの楽譜で、慣用的な伝統や弾きやすさも体現しつつ、メインでは原典版を用いている最近の傾向は正しいし奨励すべきだと思う。この版からはコルトーの学習者に対する温かな眼差しを感じる。しかし芸術の真髄はやはり演奏の中にあるものだ。



2008年2月号 p.31

若きピアニストへのメッセージ
現在ご活躍中のピアニストのみなさんに、20代を振りかえり、また若いピアニストたちへのメッセージをうかがいました!

質問事項
@振りかえって、ご自身の活躍のきっかけはなんだと思いますか?
A「コンクール」について、どう思いますか?
B末永く活躍できるピアニストとなるには、どんな資質が必要だと思いますか?
C10代から20代という多感な時期に、ピアノ以外にも恋愛などの経験が必要だと思いますか? 恋をするとピアノの演奏は変わると思いますか?
D音楽性を高めると同時に上手に自己プロデュースするにはどうしたらよいでしょうか?
Eそのほか、活躍を目指すピアニストの卵たちにとって、今すべきこととはなんでしょうか?


野に放たれた獣のような青春!?  〜斎藤雅広〜

@活躍とかではなくて、やらなければ食べていけないので、やるしかないということですよ。自分の夢のためとか、あいつだけには負けられないとか、そういう理由ならできなかったかもしれない。自分のやりたいことをやるのではなく、自分のやらなければならないことをやるのが、良いことだと思いますね。

A映画が監督のものであるのと同じように、悪い意味ではなく、コンクールは審査員のものです。だからその顔ぶれで内容が決まるだけのことですから、何の意味もないのです。

Bこちらが聞きたいですよ(笑)。音楽が好きだということは必要でしょう。あと神経が太い。ものにこだわらない。強気で楽観主義者だったらどんなに良いかといつも思っています。

C大胆な演奏は大胆な私生活から、几帳面な演奏は几帳面な私生活からですよ。音楽のほとんどが恋愛のことですから、どっぷりはまっている人のほうが、面白い演奏をするに決まってます。さらに我々は作曲家じゃないから、愛するより愛されることが大事だし、見渡しても動物的ではない温厚な人に、上手な人はいませんね。野に放たれた獣のような青春がいいんじゃないですかね?

D自分より経験豊富な演奏家の懐に入って、意見を聞くことでしょうね。よほど親しくならないと本当のことは教えてくれませんが。それは運ですね。あまり大胆に近づいても(笑)警戒されるし。そばでお手伝いしたり一緒に暮らすとか、それができれば最高ですね。自分の良さを引き出してくれる人を探すことでしょう。

E失敗はつきものだし、悪口も言われ放題、良い仕事もない、と何かと辛いことが多いので、向いてないと思ったらやめる勇気をもつのも見識。自分の幸せがどこにあるかをいつも考えていないと、人生が音楽に食われてしまう。「大事なのは人生で、音楽ではない」。そう思うとやるべきこともわかるし、大切にすべき音楽も逆に見えてくるのでは?と思います。


(CHOPINの同ページには、斎藤さんの他に、宮谷里香さん、青柳晋さんのインタビューも掲載されています)



2007年12月号 p.15

斎藤雅広デビュー30周年記念コンサート 豪華スター競演によるフランス音楽の夕べ
和やかで、楽しくて、ユーモアもたっぷり!


 18歳で第46回日本音楽コンクールに優勝し、翌年デビュー。「芸大のホロヴィッツ」と称され、NHKの教育テレビ番組では、メインキャラクターも務めるなど、マルチな活躍ぶりは周知のとおり。その斎藤雅広がデビュー30周年記念のコンサートを10月3日、東京文化会館小ホールで開いた。しかも、『豪華スター競演によるフランス音楽の夕べ』である。
 
第1部のゲストは、クラリネットの赤坂達三、ソプラノの足立さつき、フルートの萩原貴子、そしてドビュッシー弦楽四重奏団。トークを織り込みながら、それぞれのアーティストと極上のフランス音楽を創出。ソロ演奏では、フォーレ『舟歌』を表現豊かに歌い上げるなど、磨きぬかれた音楽性で魅了していく。
 
第2部の幕開けは、国府弘子との2台ピアノによる『枯葉』。粋なサウンドを会場に解き放ち、彼女に「この人はジャズマンです!」と言わしめたほど。
 さらにヴァイオリンの高嶋ちさ子、ソプラノの林美智子、ピアノの三舩優子、バリトンの宮本益光らも次々に登場。広瀬悦子との2台ピアノで、ラヴェル『ラ・ヴァルス』を披露した後、『火祭りの踊り』のソロ演奏で、感動的なフィナーレを飾った。
 第一線で活躍するアーティストが、一夜にしてこれだけ集うとは、まさに「凄い!」の一語に尽きる。
 そのうえ、トークでしっかりと笑いも誘い、「僕の部屋で、くつろいだ雰囲気で聴いてください」と冒頭で語っていたように、ユーモアたっぷりの饗宴となった。



2007年7月号 表紙 p.7〜p.11

Pianist One day no.142  人形町を食べ歩いてます

〜前回の表紙登場の折には、人形町に越したばかりだった斎藤雅広さん。そのときは「まだこの町にはなじみきれてない」なんていっていた斎藤さんだが、あれから4年、今ではすっかり、町を歩けば「斎藤さ〜ん」と声をかけられる人形町のスターになっていた!?〜


 昔ながらの伝統をほどよく残した情緒あふれる町、人形町。「毎日、町を徘徊してます!」とのことだけあって、町を歩けば「斎藤さ〜ん」と声がかかり、お店に入ると「先生、こんにちは。いらっしゃい!」と満面の笑みで迎えられる。
 斎藤さんは「ほぼ100%外食」で、おいしい店の探索にも余念がない。ひとつのジャンルのお気に入りを探すにも、徹底的に取り組むという。食べ歩きが大好きで、たとえば鰻が3食続いてもOK(!)という斎藤さんならではの、地道且つ的確な探索方法はこんなふう。
「今月は寿司なら寿司、天ぷらなら天ぷら、と決めて、とことん食べて、お気に入りのお店を探すんです。たとえばお寿司屋さんは人形町には25軒以上あるんだけど、全てのお店に行ってみた。おかげで素敵なお店に巡りあえましたよ」
 そうして得たおいしい店情報を自身のブログに書いているうちに、お店には斎藤さんの記述を読んでやってきたというお客さんも現れたりしているという。
「それぞれのお店は、味がいいのはもちろん、お店の方の人柄もすばらしいの。それもあって、惚れてしまって通うんだよね。気風がいいっていうのかな。人形町のすばらしさなんだよね」
 そうして今日も、天ぷら屋さんで海老天丼を食べ、お寿司屋さんでコハダ丼を食べ、夜間の練習の合間用に鰻弁当をあつらえてもらう斎藤さんなのであった。

Pianist One day Special Interview
18歳で第46回日本音楽コンクールに優勝し、19歳でデビュー。以来、30年間ピアニストとして走りつづけてきた斎藤さん。「芸大のホロヴィッツ」と称され、演奏のみならずテレビでの活躍するなど、その道のりは順風満帆のように見受けられるのだが、ご本人によれば、決してそうではないという。
「挫折もありました。僕は子どものころからなりたかったピアニストに、なんとか曲がりなりにもなれて、当初はそこそこ注目もされた。でも、ピアニストを続けるというのは、デビューするよりも難しいんです。次々に新しい才能は出てくるわけですから、目新しくなくなると、世間は手のひらを返したようになる。僕はデビュー後しばらく経つと、演奏の仕事もだんだん少なくなってきて、ジリ貧状態になりました。
 不安の募る中、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカのレッスンを受ける機会を得て、演奏が認められ、ポーランドへの留学を決意する。
「日本で行きづまっているときに誘われたから、じゃあ行ってみようかと。2年間、内弟子としてステファンスカ先生のもとで勉強しました。あくせくしないで音楽にどっぷり浸る生活を送って、音楽のよさを再確認できましたね」
 留学後帰国したものの、仕事があるわけではない。
「今後どうしようかという不安があって、就職をお願いしようかと伝手をたどって、園田高弘先生のもとを訪れたことがあるんです。でも、突っ放されました。『君は本当に演奏家をやめられるのか、やめられないだろう』って。あのときもし園田先生が就職を世話してくださっていたら、今の僕はなかったでしょうね」
 演奏家として演奏できる場所を求めて、徹底的にやっていくしかないと覚悟を決めた斎藤さん。ちょうど時を同じくして、中村紘子さんから励ましの手紙が届いたことも、覚悟を決めるのに拍車をかけた。
「中村紘子先生は、最近名前を聞かないけれど元気にしているだろうかと心配してくださったわけです。そういうふうに先輩方に励ましをいただいて、どれほど嬉しかったか・・・・・・」
 それまではリサイタルを中心に活動していたが、弾かせてもらえる場があるのならと、貪欲に演奏活動を広げていく努力を重ねた。
 そうした努力の後の活躍は、よく知られているとおりだ。ソロのみならず、室内楽、歌曲伴奏、そして『トゥトゥアンサンブル』『趣味悠々』などのテレビでの活躍。
「自分ひとりで30年間やってこられたわけではないんです。多くの方が応援してくださったからこそ、現在がある。感慨無量ですね」
 このたび開くデビュー30周年記念コンサートは、皆さんへのそうした感謝の気持ちを込めての贈り物としたい、とのこと。
「メンバーも一流で、豪華スターの競演ですよ!お祝いだからと音楽仲間が駆けつけてくれるんです。仲間と楽しく演奏していきたい、というふだんの僕のスタンスに沿ったコンサートの集大成になります。本来なら大ホールのコンサート。でもお客さまには、こじんまりした空間で聴く贅沢な音楽を味わってほしいので、あえて小ホールでの開催を決めました。プロフラムについては、いつもはお客さんのリクエストに応えての曲目を並べることが多いんですけど、今回は僕の大好きなフランスものばかりを集めました。三舩優子さんや広瀬悦子さんとの共演もあるので、楽しみにしていてください!」


2006年8月号(P58) 斎藤雅広が教えます 譜めくりの極意とは!

理想のフメクリストとは


いやいや、譜めくりさんとのトラブル、また爆笑の事件話は数え切れないね〜。最近は座ったままめくろうとした「お前はマジックハンドか?」さんや、最初から立ったままだった「電信柱じゃないんだから!」さん等に遭遇する(笑)。ボクのホームページ http://homepage3.nifty.com/masahiroclub/の「まさひろ事件簿」にもそんな話がいっぱいあるよ。ぜひ読んでみてくださいね。

さてさて譜めくりは大変な仕事。緊張感のある舞台にいるんだから、当然平常心では出来ない。ゆえに事件も起こりやすいんだ。特に@譜めくりは客席が視界に入るのでアガる。Aめくり方如何でこの演奏にヒビがはいるかも?という緊迫感。Bこのピアニストは怖いかも・・・という雑念等々、想像しただけでも痛いよね。まあ@やAは当たり前だとして、Bもたとえボクのようなニコニコマンでも、譜めくりの失敗瞬時には発狂しそうだし(笑)、かつてアルゲリッチなんかには叩かれた子もいたらしく(笑)。あれ?叩く暇があったら自分がめくれよ〜(爆笑)。アハハ、なんちゃって。そんな問題じゃないね。結局、みんな真剣だから仕方がないんだよ。

それでは弾きやすい譜めくりを考えてみよう。男性か女性なら?多分女性が良い。それはボクが男で出会いを楽しみにしているから・・・ではないよ!!ホントに!男は腕が太かったり汗臭かったり、指から生えている毛が気になったり、動作もやや鈍い。動作が速い男は乱暴だったりもする。それに息遣いが荒く(笑)、時々それがため息にも聴こえるのでだんだん殴りたくなって来る(笑)。それにスーツを着ているので裾が心配だ。鍵盤や弾いてる手に接触されると事故の素。裾の件は女性も同じで、ネックレスも服の中にしまっていてもらわないとブラブラブラブラ気が散るよね。服の色はどうでもいいけど、タイトなスッキリ系が良い。ミニスカートもダメね(笑)、こちらの手が勢いあまって○▲☆◎×してしまう可能性があるんです。ウッフ〜ンなんて言わないでね。そういえば某イケメンピアニストは、そんなことからファンがギャーギャー心配するので、譜めくりは「絶対男で」と指定してくるらしいし。

そして小柄な人よりは大柄な人が良い。痩せている人の方が良い。胸もデカいと目がそちらにいく・・・・のではなく(笑)、譜めくりに限って胸は邪魔ですな〜。楽譜も見にくいし、以前身を乗り出されてその谷間に顔が埋没して窒息しそうになったこともあった(笑)。また座るイスの位置も微妙で、そば過ぎるのも良くないし、遠くに座られるとこちらが不安なので、近くでも邪魔にならないように角度で調節する。頭が良い神経質な人だと仕事は完璧だけど、めくる場所のずっと前からソワソワし出すんだよね(笑)。その気配がこちらに伝わり、弾きにくい。でもボ〜〜っとしているのは困る。香水とかにも気を遣って欲しい、オナラみたいなのは勘弁だよ。髪も
風になびくようなロングだと、こちらの口に入ってしまうし。ところで肝心のめくるタイミングの好みは人それぞれなんだ。先が見たい人、ギリギリまでめくって欲しくない人等様々。でもやはりジャストが良いに決まっているとボクは思う。少し半めくりをしておいて、その場所ドンピシャにめくられるのが好きだけど、こればかりはピアニストによって違うので確かめましょうね。

ピアニストは譜めくりさんが頼り!コンサートの成功不成功は譜めくりさんの手にかかっている。ホントにそうなんだよ。その上ピアニストはわがままときてるし・・・・でも!こういう現実的な条件を考えてたら、良い譜めくりは出来るはずないと思うんだ。だから楽譜を見ながらそこから生まれてくる音楽を一緒に楽しんで、自分も一緒に演奏している気持ちになるのが一番いいんじゃない?そうすればきっと譜めくりは、世の中で一番楽しい仕事の一つになる〜〜〜!!かもよ。全国のフメクリストの皆様!今後ともよろしくっす!


2006年8月号(P80) 新トリオ名が誕生しました!

『ピアットリオ』として、来春にも再始動!


斎藤 「『ショパン』読者の皆さん、多くのおハガキをいただいて、ありがとうございました!ボクたち3人で候補作にすべて目を通して、真剣に考えました。その中で、Mさんの書かれたのが『ピアトリオ』。イタリア語で『ピアット』というのは、『皿』を意味するんだけど、いろいろなお料理を出せる=ボクたち3人いろいろな演奏を提供できる、という意味をこめて、『ッ』を入れて、『ピアットリオ』に決めさせていただきました」

三舩 「かわいらしい響きだし、わかりやすいしね。デュオやトリオ、いろいろなジャンル、なんでもできるという意味もこめました!」

M 「選んでいただいて嬉しいです!3月のコンサートは高松国際ピアノコンクールを聴きにいっていて行けなかったので、ぜひこの『ピアットリオ』でコンサートをまたやってください。今度は絶対聴きに行きます!」

斎藤&三舩 「この『ピアットリオ』の活動も、これから頑張ってやっていきます。先日のコンサートも大盛りあがりでお客さんにも楽しんでいただけたし、ピアニスト側もすごく楽しんで弾けたしね! もうノウハウもわかったし、ますます楽しいコンサートにできるはず。来春にまたアミューたちかわでやる予定です」

M 「プロのピアニストの方は、たくさんコンサートを抱えていて、レパートリーがいっぱいありますけど、どうやって暗譜するんですか?」

斎藤 「バーバーは暗譜難しいよね。でもどうだろう・・・必要に迫られるとできるよ。ボク自身、なぜ暗譜できるか不思議。『絶対弾ける』と思って弾くと、弾けるよ!」

三舩 「斎藤さんらしいですね(笑)。私の場合、集中力、かな。楽譜を見て音符を覚えるようにしてる。ただ弾いても覚えられないから。そうして、そらで思い出して確認してる。私もバーバーのソナタは好きだけど・・・この曲の暗譜は3本の指に入るくらい大変だと思うな」

斎藤 「『暗譜ができない』って言うのは、余裕がある証拠! プロになると、やるべき曲が山ほどあって、そんなこと言ってられないから(笑)。でも、1曲をじっくりさらえるのも、学生時代ならではの良さだよね」

三舩 「そうね。プロとして活動するようになったら、学生時代にじっくり勉強できたことのありがたさを感じるよね。学生時代にじっくり取り組んだ曲は、今でも忘れることがないかな」

M 「部分練習などやってると、練習に飽きることがあるんですけど、飽きない方法はありますか?」

斎藤 「ボクは個性的な解釈を探るのが好きだから、いろいろ突っ込んで弾くから楽しくて、飽きることはないな!」

三舩 「さすが斎藤さん。そうね・・・部分練習って、たくさんやってもあまり効果はないから、ほどほどにやったほうがいいかな。弾けないのは、手や指の形が悪いのが理由だから、そこをきちんと解決するのが第一。あとは、1曲に集中しすぎないで、いろいろな曲をやってみるとかね」

斎藤 「ボクは指使いなんて覚えてないなあ。そらで思い出して再現、もできない。感性で弾いちゃうし。歌の伴奏をしていて、なんだか今日は弾きにくいなと思ったら、ひとつ調が違ってた、ってこともあったし・・・」

M 「・・・・・・・・」

三舩 「・・・・・・・さすが、斎藤さん(笑)」

M 「これからも、ぜひがんばってください!」

斎藤&三舩 「おまえもな!(笑)」

M 「ハイ! 私もがんばります!」


         * Mさんは、国立音大でピアノを学ぶ4年生。『ピアットリオ』の命名者です。


2006年3月号(P97) クラシック VS ジャズ で ピアノ決戦!

姫&王子&道化師で参戦!?
 斎藤雅広・及川浩治・三舩優子(対談)

3月25日にアミューたちかわでの『クラシック VS ジャズ ピアノ決戦!』に、クラシック側のピアニストとして、斎藤雅広さん、及川浩治さん、三舩優子さんの3人が出演する(ジャズは佐山雅広さん、国府弘子さん、小島良喜さんの3人)。こんな豪華なメンバーの演奏が一晩で聴ける、なんともオイシイ企画! さて、いったいこの3人、どうやって集まったのか、練習はどんなふうに進んでいるのか、聞いてみると・・・。

−そもそもどういういきさつで3人が顔をそろえることになったんですか?

斎藤 「クラシックとジャズのピアニスト3人ずつで決戦をしよう」という企画が、まずボクのところにきたんです。それで、幅広いお客さまにアピールするメンバーがいいなと思って、すぐに頭に浮かんだのが、三舩さんと及川くんだった。最強メンバーがそろいましたね。姫の三舩さん、王子の及川くん、そしてボクが道化師(笑)。

及川 斎藤さんは王様でしょ(笑)?

−皆さん、以前からおつきあいがあったんですか?

斎藤 いや、なんとなく知っていたというぐらい。みんなポピュラーなCDも作っているから、こういう企画にはぴったりかなと思って。

三舩 ピアニスト同士って、ふだんあまり会う機会がないですよね。女性同士の共演はたまにあるけれど、今回は紅一点ですごくうれしい。斎藤さんは私にとって教祖様のような存在なので、声をかけていただいて光栄です。

及川 ボクにとっても斎藤さんは・・・大先輩ですから。

斎藤 及川くん、今、何か別のこと言おうとしてたでしょ。

及川 いえいえ・・・キャラの濃い方だなんて、言おうとしてません(笑)。

斎藤 ハハハッ・・・この前打ち合わせを兼ねて、3人で食事したんだよね。お店を借りきった状態で、すごい盛り上がったね。お互いピアニストとしての悩みなんかも言いあったり。

三舩 熱い方ですよね、斎藤さんて。熱いものを内に秘めてる。

斎藤 いや、秘めてないですよ、外に出まくり(笑)。この前はとくに、お酒でハイになって、完全に地が出てました(笑)。

及川 ボクは三舩さんとは初対面で、斎藤さんともちゃんとお話するのは初めてだったんで、すごく緊張して食事会へ行ったんですよ。

斎藤 でもけこう熱く語ってたじゃない。「ボクの場合は・・・」とか言って立ちあがっちゃうし(笑)。

及川 お酒のおかげで緊張感が取れたんです。だけど、ボクらは聞き役でしたよね。

三舩 そうですよ、斎藤さんの話に圧倒されちゃって。

斎藤 三舩さんもノリノリで、ボクの私生活について、きわどい質問してたじゃない。

三舩 ハハハッ・・・。

斎藤 三舩さんて、姉御肌で頼れる姉さんて感じですよね。及川くんは、弟かな。

及川 兄貴と姉さんについていきます(笑)。

斎藤 食事会の本当の目的は曲目を決めることだったんだけど、それは3分で終わったね(笑)。

−どんなふうに決めていったんですか?

斎藤 「ソロは必要ないし、デュオをやりたい」というふたりからの提案があって、「じゃあ何ををやる?」「『牧神の午後』は?」「あ、いいねえ」「ガーシュウィンとかは?」「それもいい」って、簡単に決まっちゃった。

三舩 デュオの曲はある程度限られますしね。それにみんな企画を聞いた段階で心の準備ができてた感じですね。

斎藤 でも、簡単に決めたわりに、難しい曲を選んじゃったね(笑)。

−もう練習も着々と・・・。

斎藤 してるわけないじゃないですか(笑)! コンサート前の3、4日が勝負ですよ。

三舩 そうそう。本番までのカウントダウンのタイミングってありますよね。

斎藤 それが難しい。ピアニストってすっごく練習が必要だけれど、いくら練習しても本番が必ずうまくいくとは限らないから。

及川 そうなんですよね。

三舩 本番で気合いを入れすぎると、失敗しちゃうことがあるし。

及川 ボクなんかは気合いばっかりで、自分ではうまくいったと思っても、反応があまりよくなかったり。

斎藤 あるある! 逆に「今日は失敗した。穴があったら入りたい」という思いで演奏会後サイン会をしたら、「よかったです〜!」って人が殺到して、思わず入った穴から飛び出ちゃったとか(笑)。

及川 ありますよね、それも。演奏って、ちょっと力が抜けてるぐらいがいいんですね。

三舩 うん、ほどよい感じね。

斎藤 人の評価はあてにならないし、かといって自分の評価もねえ・・・。

三舩 自分すらあてにならない。

斎藤 そう。だからイケイケムードで毎日楽しく暮らすっていうのがいちばん。

三舩 「楽しく」がキーワードだよね。

斎藤 ほんとに! あっ、でも及川くんは真面目だから、そう思ってないかな?

及川 いや、ボクも「楽しく音楽しよう」と思ってますけど、ものすごく上がり症なので。

斎藤 上がり症なの?

及川 すごいんですよ、もう。本番前は貧血状態で横になってますから。

斎藤 ええっ〜〜(笑)。

及川 「間違えるんじゃないか」とか、気にしだすときりがなくなっちゃう。

三舩 なんか私も、実際に合わせることになって、最初の1音出すとき緊張しそう。

斎藤 ボク、出だしで間違えてあげる(笑)。合わせるのは、本番の3日ぐらい前でいいよね。このメンバーならすぐできちゃうでしょ(笑)。

及川 でも斎藤さんは、めちゃくちゃ速く弾けちゃうからなあ。

斎藤 ボク、血が騒いで速くなっちゃうんですよ。でも本当は控えめな性格だから、及川くんのテンポについていく。

及川 いやいや、ボクは斎藤さんに胸を借りるつもりでいますから。

三舩 私はどっちかというと、練習より本番にだけ力を入れたいタイプ。相性が合えば、何度も練習しなくて大丈夫ですよ。

斎藤 そういうタイプだと思った(笑)。でも及川くんは、相性が合う人とのデュオでも、やっぱり練習はしっかりしたいでしょ?

及川 そうですね。ボク、不器用だから。

斎藤 いや、不器用じゃなく、何度も練習して自分のペースを作っていくタイプだと思う。

三舩 ホントに真面目な感じですよね。

及川 いや、不器用なんですって。だからふたりに迷惑をかけないようにと思って・・・。

斎藤 なんかさあ、今日、及川くん、猫かぶってない? 口数も少なめだし(笑)。

及川 実はマネージャーに「しゃべりすぎるな」って言われてるもんで(笑)。

−最後に今回の演奏会に対する意気込みを聞かせてください。

三舩 勝ち負けではないんだけど、「クラシックもすごいんだぞ」という部分を出したいですね。私自身、ジャズにはまって、譜面どおりに弾くクラシックより、自分だけのフレーズを創りだすジャズのほうが真の音楽なんじゃないかと思った時期もあったので、余計にやりがいを感じます。

及川 ボクもジャズピアノはすごく好きなんですよ。オスカー・ピーターソンの演奏を聴いて感動したこともあるし、ジャズの人と競演できるのはうれしいです。

斎藤 ジャズのほうも素敵なピアニストがそろってますし、きっと熱っぽい演奏になっていくと思うんですよ。それに乗せられて、熱くなりすぎないようにしたいですね。

三舩 クラシックも熱っぽくなるけれど、ジャズとは熱の放出の仕方が違うと思う。

斎藤 ジャズってその場勝負だから、ハードな面があると思うんですよ。クラシックは譜面がある分、ゆとりや遊びの部分がある。

三舩 品良く演奏したいですね。

斎藤 そうそう。三舩さんと及川くんは華やかなオーラがあるから、それを活かして。

三舩 斎藤さんがいちばん華やかですよ!

斎藤 3人集まってもパワーを分割しちゃうことが多いけれど、この3人ならパワーが3倍になるよね。みんなしゃべりもいけるし、キャラもかぶってないし(笑)。3大テノールならぬ、3大ピアニストということにしましょうか。いや、衣装とか多方面にお金をかける3人だから、<散財>ピアニストかな(笑)。

三舩 是非、応援にきていただきたいですね。

及川 ボクら自身も楽しみにしてるしね。

斎藤 まだ練習もしてないけど、このまま3人でユニット組んじゃおうか。

三舩 ユニット名も読者から募集しちゃおう・・・って、いいのかな、決めちゃって。

及川 それはいいですね、姉さん!

斎藤 そんなわけで、読者の皆さんよろしく!


2006年3月号(P58) 音楽マンガの世界に浸る指揮者の松尾葉子さんと終演後に
いつも愉快でパワフルな斎藤雅広さん!案の定、マンガもいろいろ読んでいらっしゃるようだ。今回は、現在の音楽マンガブームについて、ちょっぴりマジメに語ります。

音楽マンガ、今だからこその必然的ブーム

来た来た。来ると思ったよ。こういう原稿依頼。なんせ夜中のアニメには詳しいから(笑)。でもアニメを見るのは、夜中に時間が空くからでマニアじゃない。でも見てるとオタク族の好む知的要素がちりばめられていて、テーマ曲もクラシックのアレンジだったり。そういえばフジコ・へミングさんが、「モンスター」のエンディングテーマを歌ってたね。岸田今日子か?と金縛りにあったけど(笑)さすがの味だ。

マンガ本を読む方はすっかり出遅れ。時間がないから仕方がない。昔は練習しながらよく読んだよ。譜読みが終わってテンポが上がるまで、譜面台にマンガをひろげて(笑)。みんなやってるはずだよ?いつの間にか弾けるようになるしね。「のだめ」もそうやって読まれているのかな?例えば「ガラスの仮面」なんか面白いんだけど、だからといって芝居に興味がわくもんでもない。「のだめ」は音楽に興味を呼び込んだことが画期的だよね。クラシック・ブームが巻き起こりそうなんだから、本当に凄いしありがたいよ。われわれ音楽人もいまさらになって読み出している人も多い。

昔の「いつもポケットにショパン」なんかも面白いよね。でもあれは現実じゃありえない話だ。だからこそこっちの方が好きって事もあるよ。「オルフェウスの窓」はさすが池田さんで、池田さんはワーグナーの「指輪」も書いているけど、こういうヨーロッパ的な香りが大きなスケール感を産んで、そのドラマ性に魅せられる。逆に「のだめ」がドラマだけでなく、取り巻く音楽にも命を与えられたのは、リアルな描写や現実的な出来事、コミカルなエッセンスがマンガ世界に閉じ込ませない多彩な感じを作って良かったのだと思うけど、軽いとも言う。せっかくのブームなんだから、もっとコンサートと結びつけたっていいと思うけど、やってる人は茂木大輔さんくらいで、まだまだプロは消極的なのはなぜ?この辺にブームの秘密があるのかもね。もっと凄く陰湿なドロドロが現実にはあるかもだけど「プライド」だって面白い本だ。だが音楽は聴こえてこない。それはやはり身近な感じがしないから。

ピアノはピティナに代表されるように、小さいうちからみんなコンクールにかかわるようになっている。昔はコンクールなんて一握りの特権階級の話、人前で演奏することだって、ある程度うまくなきゃ許されない空気があった。僕が子供の頃は「男のくせにピアノなんか弾く」と苛められた時代だ。音楽を勉強することが、お気軽な環境になった今だからこそ、多くの人に共感を与えられるのだろう。さらに現実での大変な苦労が軽いタッチで描かれることに、筋金入りのプロには抵抗があるのだろうし。

「いつもポケットにショパン」の時代には夢物語だった話が、音楽大学に籍を置くこと自体珍しくもない中で、もしかしたら自分にも才能があって、主役に躍り出られるという望みを具現化可能な世の中で、このブームは必然的。ただ必死で努力して地味にがんばっている本当に優秀な人たちに、光があたるようにすることが必要なのに、このブームもまた、良くも悪くも別の種族を業界に産み落とすだけのものになりかねないね。

生物のいない火星に起こる嵐のようなものにしないように、がんばりましょうぞ。


2005年8月号(P44〜45) カッコよく、初級ピアニスト!
初心者でもカッコ良くピアノが弾けるって一体・・・? 
ピアニストの斎藤雅広さんが、初心者でもかっこよくピアノが弾ける講座をNHKで収録中との話を聞きつけた。
真相を探るべく、斎藤さんを直撃インタビュー。番組収録現場にもお邪魔!

意欲と時間があれば、趣味でもピアノは弾けるんだよ

(講師の斎藤雅広さんへの直撃インタビュー)

99年に次いで2回目の出演である。しかし、ある程度弾ける生徒が対象だった前回とは異なり、今回はまったくの未経験者を教える。といっても「どっちみち努力するわけだから、趣味ならば、最初からショパンのノクターンみたいなものが弾けたほうが、いいじゃない?」という斎藤さんのスタンスは同じ。ということで、クラシック、ポップスなど幅広いジャンルから、初心者にも抵抗感のないよう「できるだけやさしくアレンジ」した、バッハの『メヌエット』やサティの『あなたが欲しい』、また『瞳をとじて』や『涙そうそう』などをテキストにした。
その譜読みも、レクチャーする。楽譜も簡単なだけではなく、各所にピアノ・メソードが隠れている。
「楽譜にはすべての情報が入っているから、まず読めた上で自由に弾くことが大事。それに読めないと、いつまでもひとりでできないし、逆に譜読みができると、次は何を弾こうかなって、楽しくなるんだよね」

第4回の『瞳を〜』ではペダリング、参考曲の『酒と泪と男と女』ではフレージング。初心者にもかかわらず高度なレッスン内容だが、それもひとえに〈かっこよく弾く〉ためのテクニックだ。しかもそれに、斎藤さん特有のユーモラスな表現で言う「7つのお助けアイテム」を加えることによって、簡単な曲が、みごとに変身するわけだ。これならピアノが好きになるかも! 思わずそういうと、それはちがうと返ってきた。
「もともとピアノが好きとか、この曲を弾きたいとか、そもそものやる気が満々でないとピアノの練習はきついね。いわば煮込み料理みたいなもので時間がかかるし、練習そのものを喜びにできる人に向いているんだ。ましてや趣味は義務じゃないからね。結局ポツポツでも常に心がこもっていることが、かっこいい演奏ということなんだよ!」

3ヶ月のレッスンは、聴衆の前で弾く発表会で、締めくくられる。

かっこよくピアノを弾きたい!斎藤先生、助けてっ
(カッコよく弾きたい初心者たちが、講座を担当する斎藤先生に質問をぶつけてみました)

Q1 ピアノを毎日弾くことができませんが、向上し続ける秘訣はありますか?

A1 自分が弾きたいと思っている曲の自分なりの良いイメージをずっと持ち続けていること。それが再現できればいいわけですからね。そういうイメージトレーニングですね。あと通勤電車のつり革につかまりながらペダルの踏み方を練習、マスターした方がいます。音楽的なことから技術的なことまで全部カバーできるってことだね。

Q2 何年もブランクがありますが、何から始めたらよいでしょうか?

A2 何も考えずに好きなことを思いっきりやればいいです。何年も恋愛をしていなかったけれど、何から始めたら良いですか? と聞くのと一緒です。臨機応変にやりたいことを、心の思うままに、自分を信じて。

Q3 左手と右手がうまく噛み合わないけれど、どうしたら良いですか?

A3 右手と左手を別々に練習しましょう。たとえば右手だけを弾けるまで1週間ぐらいがんばって、右手が弾けるようになったら、左手だけ3、4日。その間にも忘れないように右手もさらう。最後に両手合わせて練習するときは2小節ずつとか少しずつ練習。根気よく続けていけば絶対弾けるようになります。

Q4 一度もピアノを触ったことがないです。来年の新年会で、ちょっと1曲弾きたいのですが、どんな曲だったら間に合いそうですか? 曲選びのポイントってありますか?

A4 たとえば、この講座で登場する曲ならできるでしょうね。テレビを見ている人もいるのでウケるでしょう。でも自分の好きな曲を弾くべきです。気持ちが重要ですから。難しくても、途中まででも「ここまでしかできなかった」って正直に言えばいいんです。

Q5 どうしてもショパンの曲が弾きたいです。どんな曲が初心者向けですか?

A5 『雨だれ』とか。ワルツ、マズルカやノクターンなどにも初心者が弾ける曲はありますよ。なんといっても曲に対する思い入れ感情がないとだめです。自分が好きな箇所だけつまみ食いしたっていいんじゃない?

Q6 体を揺らして弾くとカッコよく見えますか?何かいいことありますか?陶酔して弾いたり、歌ったほうがいい?

A6 体はわざと揺らさないほうがいいですけれど、自然に揺れるのは悪くない。陶酔してはいけません。演奏はだれか他の人のためにするものなのに、陶酔するのはひとり恋愛みたい・・・自分で愛の言葉を考えて、言ってみて、身持ちよくなっているみたいでマジ、キモイです(笑)。相手の目を潤ませるような、そういう状況に陶酔しましょう! 歌うのは練習のときはアリ。自然に歌がでるのはいいけれど、ピアノより声が大きくなると、弾き語りという別のジャンルになってしまう(笑)!

Q7 イスの調節をカッコよくできる方法ってある?ネジ式の場合とか

A7 自分で調節がうまくいかない場合、アルバイトをやとって自分の高さに直してもらっては? あるいはステージマネージャーにお願いしてみるのも手。でも気にしすぎ! 自然でいいじゃないの。それがその人の持ち味だから。

Q8 カッコいいおじぎ、ありますか? 笑顔がいいですか? 女性向きの美しいあいさつの仕方とか、ありますか?

A8 演奏がよければ、おじぎもよくみえます。もちろん顔も(笑)。表情は自然に。ステージに出ていくとお客さんの感じは第6感でわかるもの。温かい雰囲気で迎えていただければ、笑顔で返したほうがいいですね。男性から見て美しい女性のおじぎ、反対に女性から見て・・・いろんな種類があります。『聴いていただいてありがとう』という気持ちがあればOK。

Q9 カッコよく見える終わり方ってある? 手を高くあげたりとか・・・

A9 確かに某外国人ピアニストは、「おわりに手を高くあげれば聴衆は喜んでくれるのさ」などと言っていましたが、あまり意識して考えると、かえってわざとらしくなって笑われてしまうのではないでしょうか? 自然が一番です。

Q10 大げさな強弱は見苦しいですか?

A10 大げさの度合いによりますが、ついていないよりは、ついていたほうがいい。ダイナミックな演奏や多彩な演奏のほうが望ましいので、聴いてみないと何とも言えませんが・・・。

Q11 いきなり弾いてカッコいい曲、ウケる曲だけれど、じつは簡単な曲ってある?

A11 クラシックを知っている人はそこまで多くないので、ボクはこの曲をこんな気持ちで弾いているんだ、と必ず弾く曲についてのイメージ、思いを語ってから弾けば、そう思って聴いてくれます。カッコよさもUP。どの曲でも大丈夫!

Q12 まっすぐ向かなくていい弾き方、背面弾きとかってどうですか?

A12 宴会芸としてはGOODです(笑)。それを弾きこむための練習が虚しくならないように気をつけましょう。

Q13 カッコよく見える「技」はありますか?

A13 今回の講座では、課題曲がやさしいので、以下の7つの「お助けアイテム」を紹介しています。これを使ってデコレーションをつければ見栄えがよくなり。お洒落に聞こえます!
「せ〜のでブリッジ」「何でもムーディ」「とどめのウィンク」「ちょっとお飾り」「落ち着けイントロ」「ワープで一発」「余裕でポン」

楽しそうで見て見たくなるでしょ?


2005年5月号(P65〜68)「ピアニスト質問斬り」

ピアニストに聞く12の質問


@ピアノは何歳からはじめましたか? 幼い頃からはじめたほうがいい?
4歳から始めた。2歳からやりたかった(笑)

Aピアノ曲を早くマスターしたいです。よい方法はある?
絶対に2日で仕上げなければならない!または初見で舞台に立たせられる!みたいな無理な状況があればやらざるを得ないでしょ。「・・・したい」なんて言ってるうちが花じゃ。でもホントは時間をかけてやる方が、ずっと価値があるさ。

B舞台で弾くときに緊張しない方法ってある?
緊張しても何が起こってもいいので、演奏会がうまく行ってくれればいいのです。

Cピアニストは毎日どれくらい練習するのですか?
練習時間をとれたらどんなに幸せか・・・ピアニスト生活とは練習時間ゼロで、どこまでできるのか?という戦いの毎日だった。学生時代にいっぱいやっておくことだね〜〜。

D文科系、理科系どちらが得意? ピアニストにはどんな性格の人が多い?
文科系。性格はボクのような人生エンジョイ派は少ないかもだよ。

Eピアニストは完全にピアノから離れる日はあるの?
ある。でも移動とか打ち合わせに忙殺されてのことです。原稿も・・・・

Fピアニストは自分で調律しないのですか?
ボクは出来るんだな。でもめんどくない?

Gどんな環境で育ちましたか? 幼い頃から音楽にあふれた生活?
ひたすらピアニストを目指して・・・みんなそうだよ。

Hなんで演奏会では、長い曲も暗譜で弾く方が多いのですか?
ありがとう。明日から楽譜を見て弾くことにします。やった〜!

I衣装のラッキーカラー、本番前に食べるラッキーフードなどは?
そういうものはないけど、派手な衣装や高級品を身につけた方が気持ちがピリッとする。

J本番ではひとつのメーカーのピアノを選びますが、どんな理由で選んでますか?
そこにそれしかないから(涙)

Kピアニストで作曲や指揮などの活動をする人が最近増えているように思いますが、なぜ?
ピアノを弾くよりずっと楽だからね。作曲は手直しできるし、指揮は弾くのが人任せだから、運と才能が伴えばビジネスとしてはごきげんだよ。ボクも実はやるんだけど(笑)、理由は予算不足。主催者「指揮者が雇えない、司会者もほしい、編曲もいるけどお金がない・・・」そんな時に登場・・・というわけ。ただ大昔は専業ピアニストの方が少なかったんだよね。たしかに作曲は楽しい。


2005年4月号(P50)「プロに聞く指トレーニング」

例外中の例外!?不健康派の代表?

ある日電話が鳴りました。

斎藤「は〜い、斎藤でーす。」
編集部「ショパン編集部ですが今度 『指のトレーニング』を特集することになりまして。」
斎藤「ああ、最近よくもつれるようになってきたからねえ。たしかにそいつは必要じゃ。・・・は?喧嘩売っとんのかぃ!」
編集部「いえいえ、 現役のピアニストのみなさんに、今でも昔でも現在おこなっている指(身体)のトレーニングとかについてお伺いしたくて」
斎藤「え〜?そんなことやってる人いるの?」
編集部「昔はワイセンベルクとかが・・・。そこまでじゃなくてもジョギングとか、何か健康にいいことは、皆さんやってらっしゃるでしょう?」
斎藤「やらん」
編集部「へ?演奏家はからだが資本でしょう。。。?」
斎藤「演奏家は顔がいのちです。」
編集部「・・・・・」
斎藤「とにかく、毎日練習したりコンサートをやって、いろいろ企画を考えたりで時間がないの。あったら寝たいじゃなぁい?もったいないよ」
編集部「え〜と斎藤さんは・・・寝るのが・・・秘訣と・・・(メモメモ)」
斎藤「ちがう、だから寝れないんだよ、残念!睡眠時間3時間でここ13年ぐらいやってるの」
編集部「きゃ〜!夜中まで練習ですかぁ、すばらしい」
斎藤「夜中は映画とかアニメを見ているのじゃ。ラーメンとかも食べに行くぞよ。」
編集部「う・・・・。太りますよ(ボソッ)」
斎藤「だって1日4食は食べないとエネルギーが持たないね。寝てないから」
編集部「わ・わかりました、斎藤さんの秘訣は食事ですね。どんなものを?」
斎藤「朝はステーキ丼、昼はウナギ、夜は天麩羅・・・酢豚もいいなあ、で夜食は背脂チャッチャッ豚骨ラーメンとか。」
編集部「か・か・か・からだに悪そう・・・。毎日そんなんですか」
斎藤「大丈夫!ビタミン剤は飲んでおるぞ!タバコも酒もやらん!ヤクルト飲んじゃう」
編集部「百歩ゆずって『贅沢な私生活』・・・な感じですかね、あはは・・」
斎藤「大事なことだよ!いい気分でないとやってらんないね。この職業は。でも大体音楽をやる人は昔から不健康が似合う。酒やタバコの吸いすぎ、遊びすぎに夜更かし!健康に気遣ってても病弱とかさ。咳き込みながら練習している姿ってステキ〜!!」
編集部「・・・・・かな?」
斎藤「フンだ!朝早くから起きて体調を気にしたり、指の訓練を毎日やる人より、毎日恋をしようとか言ってる人の演奏の方が聴いてみたいじゃろが。」
編集部「まあ、たしかに。そういう方いるんですか?とにかくもう斎藤さんには不健康派の代表として原稿をお願いしますよ。いいですか?」
斎藤「それなら書けるかな」

という感じで電話が終わったのですが、この電話の内容のほうがよっぽど面白そうなので、記憶をたよりに書き留めてみました。
なおこの原稿は一部フィクションであり、実際のショパン編集部と斎藤雅広はもっとくだけていたかもです(笑)。あしからず。



2005年3月号(P50)「ショパンのエディション、どう使う?」

あたりまえの存在


その曲をちゃんとやろうと思ったら、2つぐらいの輸入版のエディションを買って勉強するのが当然のことですし、元来輸入版を使うのがあたりまえなのです。もともと国内版の多くはペータース版の焼き直しで、日本が貧しい時代なかなか外来譜が手に入らなかった時代の産物です。現在となっては国内の出版社には、むしろ特徴が求められるようになってきていますよね。ショパンに関しては、基本的にパデレフスキー版をメインに使うべきです。そしてそのサブとしてコルトー版が参考書として最善なもので、この2冊は絶対に欠かせません。輸入版の中には、ひどく専門的だったりすごく原典にこだわっている特殊なものもありますが、もともと使われてあたりまえのアイテムなんですから、使いやすい普通のものを選んでいいし、やたらに数を購入することもないでしょう。パデレフスキー版は原典版を研究した上で作成されたということでも重要ですが、メロディのフレージングが長いために、イントネーションの位置が演奏家にゆだねられ、そのために歌わせる時に自由な表現が可能になります。これがすばらしい。コルトー版の方は実践的なアドバイスが多く含まれていることが利点で、表現の方はすでに「これ」と限定されていて窮屈なのですが、迷った場合には確かに参考になるし、演奏家ならではの校訂譜です。研究者ならいかに作曲者の意向に近いか?正統か?ということが大事でしょうし、コンクールや試験を受けている人では「ご愁傷様状態」で何ともお気の毒なのですが、本来演奏には、他人様がどう考えているのかなんていうのは関係ないことなので、自分のイマジネーションをその作品に自然に融合できるための秘薬のような楽譜、それこそ自分の使うべき楽譜なのだと思います。だからうまく弾けないのを楽譜のせいにするのもアリだし!この際ギッタンギッタンにして、ポイッ!買いかえてみるのも悪くない(笑)。マジ、意外にそれ正解だったりするんですよね。


2004年11月号(P67)「私にとってのショパン」

美しすぎる音楽


大体ショパンが嫌いだなんてぇのは、性格が悪いか大バカ者のどっちかでしょう。え?ワーグナーやブルックナー??ショパンの方がいいに決まってるじゃん(笑)。それが普通ってもんだよ。ショパンの音楽って、細部に至るまで疑問の余地がないくらい、絶対的な感じがするけど、音楽なんて神聖なものじゃないんだよね。恋愛したり幸せだったり悩んだりしたから産まれたもので、不完全な人間のものであると思うんだ。それが薫ってくるような演奏が大好きなんだけど、曲や音の美しさに阻まれて、そんな内面を引き出すことは難しい・・・。修行だ修行だ〜旅にでもでるか?ってな気分で今日もガンバ!です。そうそう、指も回らないとアカンしのぉ〜(笑)。


2004年4月号(P69〜70)「だから弾きたい『イスラメイ』ピアニストにきくこだわり・ポイント」

ヴィルトゥオーゾの血が騒ぐ・・・


『イスラメイ』は史上最強の難曲の1つとして知られてるが、弾いたこともないのにそんな一言で済ませていいのだろうか?実際にプログラムにのっけた人でないと、この曲の特殊な難しさは判断できない。演奏自体がすべて自分自身の問題になるので、レッスンにもっていってもあまり意味がない曲だ。自分で考えて「こりゃイケてない・・・・」と思ったら、それは「イケてない」わけで、大先生なんかよりも自分の耳、弾いたことがあるお友達の方が、頼りになる(笑)。

事実教わることはあまりない。先ず譜読みは難しくないし、音楽的にも構成は明快だし、メロディも歌わせやすく、イメージだって作りやすい。時にロシアの爺さま先生のレッスンで、民族的な節回しやリズムのこだわりを強要されることもあるが(笑)・・・・何のそのである。もちろん情感豊かにすばらしく聴かせる事も可能だし、味わい深いのもいいなとは思うけど、この曲を弾こうっていうのは、やはりヴィルトゥオーゾの血が騒ぐって事でしょう?聴く方だってそれを期待してるわけ。ガンガン行ってくれなきゃどうしようもなく物足りない。斎藤雅広

この曲で「これは!」と思った演奏はガヴリーロフのものが最初だった。完成度も高くスピード感もあり、すべてにバランスが取れていながら凄みもあった。このガヴリーロフの演奏を下敷きにして、決定的な演奏とされるベレゾフスキーや元気いっぱいのランラン等が出現しえたのだと思う。つまりこの曲は現代のピアニストの方に利のある曲といえ、今のブロンフマンやプレトニョフ等が巨匠的な視点で弾いたとしても、むかしの名人とは一線を画している。例えば非常に面白く演出してくれるシフラの演奏でさえも(何種類かあるが)部分的に考えさせられ痛快とはいかない。抜群のテクニックを誇るシモン・バーレルはゆっくりした部分の遅めの設定がブレーキとなるし、カッチェンもまたリズムの強調に重ったるさを感じ輝かない。ましてや真面目一方のブレンデルや、まろやかさがとりきれないアラウでは、この曲の期待には応えられない。最近ホロヴィッツのライヴが発掘され(まだ市場に出ていないが)、私のような大ファンから見れば価値のある録音だが、テンションが高い反面、最後の難しい部分を大幅にカットして、編曲というよりはその場でのカスタマイズのような・・・・・ホロヴィッツならではの歌いまわしも散見されるが、全盛期の彼をもってしても余裕が感じられなかった。しかしこういう感じの演奏こそが巨匠時代の象徴と見た場合、他のヴィルトゥオーゾ・ピースが、どんなにがんばってもホロヴィッツたちにかなわないのとは反対に、イスラメイは明らかに現代人が勝利する。つまり演奏者の強い個性ではカバーできないものが、演奏の際に求められているのだ。

冒頭の部分からそれは明らかで、この8小節はよく本番で失敗をしてしまう場所である。ここで失敗すると続く3ページぐらいの「やる気」がそげてしまうので、ついつい冷静さと半々でスタートする。そのあとの25小節からの重音もクリアーに弾くためには、リズムに乗って落ち着いていた方が事故はないし、27小節とのコントラストをしっかりつけるのも、半分は安全のためだ。この時点でこの曲を根っから楽しく弾こうと思う気持ちは抑制されてしまう。45からはロマンティックに弾かれるより、あまりテンポを落とさずに自然に流していく方が良く聴こえる。65小節からの右手のオクターブと左手の跳躍は、その後も何回か登場するが、両手の筋肉の使い方が異なるために難しい。失敗覚悟でぶっ飛ばすのが大好きだが(笑)、通常はテンポを落としがちになる。でもここで落としては曲の勢いが喪失するので、ここが弾けるテンポをこの曲の基点とする・・・そんなことを考える時点でスリルは半減し、完成度を目指す演奏となる。73からは私は迷わずOSSIAの方で弾いた。テンポがあがった方がいいと思ったからだ。後半157からが難所で、どうしても本番では団子のように崩れ易く、161でテンポを落とすことによって、ますます筋肉が硬くなり危険が増す。また手の小さな人は190からが大変かもしれない・・・TREPAKに入ってからは260や262、264でテンポが落ちるのがイタイね。個人的な趣味で言うと294と310からテンポが落ちるのもどうも好かない。どっちみち会場のピアノによっては、このコーダ全般が同音が入らず壊滅的になる可能性もあるので、細かいことは気にせず強行突破という考え方もある(笑)。それにしても314からもTREPAKのリズムで弾ききれるのかどうか?・・・・つまり要するに、一番大事なものは「やわらかな筋肉」ということ。そして「冷静な呼吸」。テンションの高さや芸術的センスも必要だし、自分のテンペラメントで暴れたいのだけど、すべては「もって生まれた運動能力」如何があってのことなのだ・・・これが〈難曲〉の正体であろう。


2003年11月号(P81〜82)「だから弾きたい『ドゥムカ』ピアニストにきくこだわり・ポイント」

完全なレガートを


編集部の方から「シリーズ・21世紀に弾きたい曲の人気楽曲特集で、今度はチャイコフスキーのドゥムカを取り上げたいんですけど」と聞き、「マジですか?」とか言っちゃって爆笑してしまった私なのでした。
「え?名曲でしょ?大体お弾きになってるじゃないですか・・・(^◇^;)」
「そうなんだけど・・・どうかなぁ、微妙な所なんじゃないの?」
なんていう会話が続き、結局は原稿をお引き受けしたのだが、その後、最近けっこうみんなに弾かれている事が判明して、びっくり!どっぷりとロシア臭い曲だから、ロシア系ピアニスト達がこぞって弾くのは頷けるし、その演奏を聴いて学生が試験や演奏会にちょうどいい長さの曲として弾いたりする、さらには腕自慢のアマチュアピアニストが、この曲の持っている名人芸的な要素に魅せられて、数多く挑戦しているようなのである。

そもそも私たちがこの曲を純粋に取り上げるのは、大昔のホロヴィッツの演奏が、生と自動ピアノそれぞれに遺されていたので、そのあたりの影響によるものがほとんどだった。例のラフマニノフのソナタだってあの全盛期のホロヴィッツのライヴがなかったら、こうも弾かれるレパートリーにはなっていなかったであろうし!しかしながらこの「ドゥムカ」をただのヴィルトゥオーゾ作品としてとらえるなら、絶対「イスラメイ」を弾いた方が面白いはずだし、実際演奏するにはきめ細やかな情感が必要で、ロシアの田園風景と哀感を描き出すイメージ力もかなり要求されていて面倒である。で、豊かなイメージをもって弾いたとしても果たしてどれほどの効果があがるかも、あまり約束されていない(笑)。構成的にはシンプルだからまとめやすいはずなのに、弾き終えた時の充足感も確実なものではなく・・・つまり演奏するにはとても難しい曲といえるものなのだ。

チャイコフスキーの大小のソナタ、変奏曲にしたって、いい曲といえばいい曲なのだが、やはり微妙な作品である。有名な協奏曲だって実はまとまりのいい作品とはいえない向きもある・・・・そのあたりから考えて、この曲もコンパクトにまとめようとはしないで、スケールを大きくとらえ、それなりの豪華さや華やかさも加えて見せることも必要ではなかろうか。なぜなら中間部のヴァイオリン協奏曲そのままの技巧的な部分は、ロシア的臭さプンプンではあるけど、次に挿入されるカデンツァの部分が、そうした民族的な意味を持つ物でもないし、かといって目を見張る超絶技巧のものでもない、ある意味よくわからない中途半端な感じになりがちなものなので、これがしらけてしまわないように、必然的な意味を持つように弾かねばならないからである。カデンツァを弾き終えた時に、この曲が多彩な面を持つ大きな曲に聴こえたら、先ずは大成功といえよう。

もう1つは、先ほどあげたピアノ曲に有名な「四季」を加えてみても、どうもチャイコフスキーのメロディというのは、ピアノで弾くと安手な感じがしてしまうのは否めない。どんなロマンティックであっても、ショパンやリストの素敵さには及ばないのだ。歌曲等も思ったほど良くはない(笑)。やはり彼は弦楽器にむいている作曲家のように思う。それはつまり「完全なレガート」を要求しているのである。前後の叙情的な部分でなんとなくまとまりが悪いように思った時は、構成を考えてピアノ的に対応しようとは思わず、むしろその中に浸るようにして、どこまでも大切に、レガートで演奏していくのが得策であろう。ドゥムカ、感動産むか、是か悲歌・・・奏者次第じゃな。


2003年4月号(P5〜7)「Pianist/One day」No.93

を徘徊してます

ショパン4月号表紙東京・日本橋生まれ、「実は江戸っ子」とおっしゃる斎藤雅広さん。何回かの転居を経て、7ヶ月前にここ人形町へ戻ってきた。「この町ではまだなじみの客になりきれてない」とおっしゃるが、どうしてどうしてこの溶けこみよう・・・・・。。

エンゲル係数が高い!?
「レッスン室を広く取れる物件を探していたら、ちょうど人形町にいい物件があったんですよね」
昔ながらの伝統をほどよく残した、情緒あふれる町、人形町。斎藤さんの住む甘酒横丁にはすてきなお店が立ち並ぶ。
「僕は3食とも外食なので、家の近くにおいしい店があるかどうかはけっこう重要。その点、人形町は200軒もお店があるから、すばらしい!(笑)。まだまだ行きたいところがたくさんあるんです。飲んだり食べたりするのが、大好きですから」
引っ越してきてまだ7ヶ月。現在「なじみの客」になりつつある最中で、まだ常連にはなれていないという。とは言いつつも、煎餅屋さんや小物屋さんと親しく会話を交わす様子は、すっかり地元の人。

「3食、鰻」もOK
食べ歩きが大好きという斎藤さん。好物は、鰻、焼肉、トンカツ、酢豚、すき焼き、ステーキ・・・・・。中でも、一番の好物は、鰻。
「小さい頃から鰻は本当に好き。朝、昼、晩、と鰻でもいいくらい」
そんな斎藤さんのお気に入りの鰻屋さんは、以前住んでいた本駒込にある。本日は久しぶりに、その「日本一おいしい鰻屋さん」うなぎ井筒屋へ。
「とにかく好きなものだから、毎日通って食べるでしょう。そうしたら、とうとうおかみさんが『来てくれるのは嬉しいけれど、そんなに毎日鰻食べてたら、体に悪い』と言ったくらい(笑)」
現在は引っ越して少し離れてしまったために、頻繁には通えなくなったが、
「この味ですよー。『これぞ鰻』という味。また来ますね!」
決意を新たに(?)する斎藤さんだった。

[誌面には、人形町を楽しげに徘徊する斎藤雅広の姿がカラーでたっぷり!・・・是非、バックナンバーを手にいれてくださいネ!]


2003年4月号(P58〜59)「Pianist Special Interview One day」

エンジョイ・ライフこそ人生のモットー!


昨年のデビュー25周年を記念しての演奏会も成功のうちに終え、記念CD『展覧会の絵』も好評な売れ行きをみせている。そのことが、あらためておおいに励みになると、開口一番斎藤さんは語った。

4歳でピアノを始めた。「父親がオペラ歌手だったから、家にピアニストが出入りしていつもピアノが聴こえてたんです。で、僕もやりたいなと思ったのがきっかけで、このときすでに、将来ピアニストになるんだと決めてました」
小学生時代は、本人いわく「下手だった」。中学生になって、骨格が変化したせいか(?)突然難曲も弾けるようになって、高校時代には初めて聴いたホロヴィッツに感動して、真似をして「遊んでいた」そうだ。

斎藤さんのコンサートや、また一度でも会った経験のある人ならわかるだろうが、クラシック・ピアニストというよりもヴォードビリアンかエンターティナーのよう。常に周囲を笑わせ、周辺を陽気な幸福感で包んでくれる。
「僕は、人生をエンジョイすることが最高の目的だと思ってるんです。音楽は僕にとって人生そのものでもあるけれど、まず自分があって音楽がある。音楽も、僕が楽しく生きるためのひとつの手段なんですよ」

だから演奏会もすべて、「楽しくなりたい人はみんなおいで!」というスタンス。
「リサイタルのお客ってとかく、ピアノやってる人とかやって挫折した人とか、評論家、クラシック・オタク、あとは家族、みたいな人たちで、ミス探ししたり逆に失敗しないよう祈ったり(笑)。結局、音楽を楽しもうってふうには見えないんだよね。たとえば、お魚屋さんが仕事の疲れを癒しに来たり、恋する彼女へのプロポーズのきっかけにしたり。本当はそうあるべきだと思うんですよ。そうしたら僕らだって演奏しがいがあるじゃない?」

去年の記念演奏会での『展覧会の絵』も、組曲をつなぐ役割の『プロムナード』は一切弾かずに、その部分になると「学芸員に変身」し、ステージ上の絵の解説をするというユニークなものだった。それが楽しいというお客が大半だろうけど、中にはスタンダードを聴きたいという人もいるはず……。
「そう思う人は、同じ曲弾いてた青柳普くんの演奏会に行くとかさ(笑)。ピアニストはひとりじやないんだよね。たとえば、僕が弾いたベートーヴェンのソナタの一部に関心をもったら、迫昭嘉さんがやってる全曲演奏会に行ってみるとか、同じ全曲をしてる横山幸雄さん、清水和音さんはどんな演奏なんだろうって、次々に関心が広がっていくじゃないですか。そしたら、聴きに行ってみればいい。クラシック界の活性化にもつながると思うんですよ。ピアニスト同士が足を引っ張り合っちゃつまらない」

当然のことだが、価値観は多様でいいと斎藤さんは言う。いろいろなファンがいるように、さまざまなタイプのピアニストがいていい。「これまでいっぱい挫折してきた」分、若い世代の力にはなりたいと思っている、と。たとえば歌の伴奏で、共演者からのラブコールが多いのも、相手への思いやりに満ちているからか?
そう勝手に想像していると、
「ここはこう合わせて、と頼まれても、僕ガーッってやっちゃうの。もう少し遠慮してくれればいいのに、って言われたりもするけど、押されるほうが悪いと僕は思う。演奏にブレスが続かなかったら、続くように努力するべきだし、逆に僕が負けたときは、五分に渡り合えるように勉強するよ」

ごく簡単にリハーサルした後の、本番での〈渡り合い〉に醍醐味を感じるのだそうだ。まるでジャズセッションのようにスリリングだから、時には苦情もあるけれど、「初めてこんな経験をした」と喜ぶ人が多いという。
「そのほうが楽しいじゃない。結果、いい音楽になるしね」
基本の〈楽しく〉は、どこまでも健在である。

今年は、足立さつきさん(ソプラノ)、赤坂達三さん(クラリネット)とスーパースター・トリオをやる予定。ワクワクするステージになりそうだ。

ところで、自身のピアノの稽古は、周囲が静まった深夜だそう。案外、〈真夜中は別の顔〉?



2003年4月号(P110)「表紙の人」56

有名なピアニストだから、クラシック音楽に詳しくなくても、「彼のことなら知ってる」という人は少なくないだろう。斎藤雅広といえば、音楽専門誌でなく、一般の週刊誌に登場してもおかしくない人ではないか。で、《キーボーズ》、《芸大のホロヴィッツ》として名高いのが、このピアニスト、斎藤雅広さん。なにしろ多才な人で、いろいろな顔をもっているが、本業はもちろんピアニストで、その腕前は堂々たる本格派。
1958年12月30日東京生まれ。だからそろそろ中年世代に入る年ごろなのだが、若者そのものの好奇心とチャレンジ精神で、八面六腎の大活躍をしている。4歳からピアノを習い始めて、小学生時代に早くもその才能が注目されていたそうだが、私が斎藤雅広という名前を知ったのは、彼が18歳で第46回日本音楽コンクールで第1位になったとき。NHKの『若い芽のコンサート』にも出演したから、私だけでなく多くの音楽関係者が彼に注目し、期待した。東京芸大、同大学院を経て、ポーランドのクラコフに留学。これまでに、田村宏、園田高弘、クラウス・シルデ、エウゲニ・マリーニン、レギナ・スメンジャンカ、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカといった錚々たるピアニストや名教師に師事している。全国各地でのリサイタルのほか、N響をはじめ国内の主要なオーケストラと次々に共演しているし、韓国国立放送管弦楽団、ミュンヘン・プロアルテ室内管弦楽団、ワイマール州立歌劇揚管弦楽団とも共演して好評だったそうだ。世界の名歌手たちとの共演も評判になったし、室内楽の分野でも目覚ましい活躍を続けている。テレビにもよく出るし、作曲・編曲家、指揮者、エッセイスト、教育者など、マルチタレントぶりを発揮している。CDのリリースは25枚を超えるそうだが、デビュー25年目の力作『展覧会の絵〜ザ・ヴィルトゥオーゾ』(ワーナーミュージック・ジャパン)を早速聴いた。『ラ・カンパネラ』は、速すぎるのではないかと思えるようなテンポで、遊びごころがあって、はっきりと自分自身の表現になっているのが見事。『展覧会の絵』もやりたいほうだいという感じだが、「こころ余りて言葉足らず」というのではなくて、技術もちゃんとあって言葉自体が雄弁なので、ダイナミックで説得力がある。演技力抜群の名優というべきピアニストだとは思っていたが、ほんとうにサービス精神旺盛な人で、演奏家としての能力の足りない分を他の才能で補っているのではなくて、しっかりした修練と技術を身につけているのに、本来的にひとを喜ばせる術にたけているのだ。こんなピアニストも珍しい。

[心あたたまる取材ウラ話は・・・バックナンバーでご覧下さい!]


2003年3月号(P68)「ピアニストにとって−されどエチュード」

わがサン=サーンス


練習曲はどのピアニストにとっても思い出深いものであるはずです。それはもちろん作曲家も違えば、曲も千差万別・・・・私にとってはチェルニーの40番の後半の何曲かは、けっこう好きで、とても期待感があって、喜びを持ってさらった覚えもあります。もともと練習曲の持っている流れるようなスピード感や美しい玉を転がすようなパッセージはピアノならではの魅力だし、誰もが夢見るような素敵な瞬間をクリエイトしてくれるのです。

ショパンの練習曲は中学生の時から始めましたが『黒鍵』『革命』『10−8』と、やはり曲が良いせいなのか、仕上がりが妙に早かったのが印象的です。言ってみればやる気を倍増させてくれるのが、こうした演奏会用練習曲の効用でしょうか。ほぼ同時にリストのパガニーニ・エチュードの6番『主題と変奏』等も勉強しましたが、なんと言っても私にとって大切な練習曲はサン=サーンスの『ワルツ形式による練習曲』だったのです。入り組んでいながら曲想は洒脱な味わいがあり、重音の軽やかなテクニックは、かなり熟達したワザが必要な難曲です。実はこの曲を基にして、オクターヴによる『子犬のワルツのパラフレーズ』という曲を作りました。このパラフレーズのおかげで、私は〈芸高のホロヴィッツ〉というあだ名をいただき、これが未だに生きているわけです。今や伝説化された初演(笑)は、学内のクリスマス会の中で行われ、大ウケだったのですが、その観客の中に何と迫昭嘉さんや阿部裕之さんなどがいらしたんだから、もう我ながら悪戯が過ぎるといいますか・・・でも楽しい思い出ですねえ。

そういえば私は大学1年のときに試験でラフマニノフの練習曲を弾きましたね。当時ホロヴィッツのスクリャービンアルバムとかがまだ新譜だったりして、随分それにかぶれて弾いていたのですが、試験にあたりラフマニノフに切り替えたのです。こちらもホロヴィッツの演奏で大好きだった作品39-5。これはとても自分にあってると思ったのですね。でもその当時(昭和52年ぐらい)、芸大の試験でラフマニノフの練習曲を弾く人は、あまりいませんでした。というよりも、ラフマニノフ自体がまだ軽く考えられていて、練習曲等を試験で弾いて〈格式〉があるのか?・・・・なんて声さえ聞かれました。信じられないでしょ?もういまやスタンダードもいいところですよね。だから若い人の間でブームのカプースチン等も、これからどういうようになっていくか、とても楽しみです。

現在はアムランなんていう人がいるので、ホントの超絶技巧系の隠れていたエチュードやパラフレーズがどんどん紹介されていますね。これはこれでとっても面白いことですが、やはりエチュードは懐かしい物という概念を、私は捨てられませんねえ。だから疲れると、ふと大好きなショパンの10−10の練習曲をそっと弾いたりします。とても落ちつくんですよ。でも人前では弾きません(笑)。なぜならこれは私だけの秘密の楽しみですから。


2003年1月号(P77)INTERVIEW


巨匠へのファンレター

〈芸大のホロヴィッツ〉と異名をとった斎藤雅広さんにとって、鬼才ウラディーミル・ホロヴィッツは〈神様〉だった。12月リリースのCD『展覧会の絵〜ザ・ヴィルトゥオーゾ』は、そのホロヴィッツの愛奏曲を中心にしたアルバム。ムソルグスキーやリスト、ワーグナーらの高難度の曲を、斎藤さんはいきいきと弾きこなしている。
「つまりは、ホロヴィッツを含めたヴィルトゥオーゾたちへのオマージュ、僕からのファンレターみたいなものかな。僕たちの若い時代はね、いまより情報が少なかったでしょう。そのぶん作曲家や大ピアニストたちに対する憧れの部分が大きくて、少しでも近づきたいと思うあまり、己の実力もわきまえずに練習しちゃうんですよ(笑)」
軽妙な口調の裏には、そうした青春時代を過ごしたことへの自負ものぞく。
「いまは、総合的な完成度は高いかもしれない。でも逆に言えば無難ですよね、変にお利口さんだったりして。僕はね、思いきり好きなように個性を発揮してこそおもしろいと思ってるんですよ。遠慮せずにガーンとやったっていいじゃないか!という心意気をこめたのが、今回のCDなんです」
デビュー25周年を迎えて、斎藤さんの熱い意気込みはさらに加速しそうな勢いだ。
「すてきな時間は僕がクリエイトするから、ピアノ好きな人、一緒に楽しみましょう!と言いたい。明日のことを考えず、クレイジーに夢を追うのもいいかなと。僕は山羊座B型ですからね、凝り性なんですよ(笑)」



2002年10月号(P87〜88)「だから弾きたい『ワルトシュタイン』」〜ピアニストにきくこだわり・ポイント

音楽の喜びを感じて

『ワルトシュタインソナタ』は、後期の非常にスケールの大きいソナタ群とも、いわゆる前期の古典的なソナタの味わいとも違う、その過渡期的なものとしてではない完成されたひとつの個性を持った作品ということに、大きな魅力をもっています。

ベートーヴェンのソナタは、簡略なもののなかにも温かみと人間的な気持ちの動きを随所に感じさせるのが特色で、さらには『月光ソナタ』の3楽章等、当時としては最高にピアニスティックな要素にあふれた作品も、実は技巧的な問題ではなく、感情的な起伏によって左右されたものですから、情熱のようなものを失ってしまってはつまらなく平坦なものになってしまいます。

そんな中で『ワルトシュタイン』が、冷静なピアニズムだけでも味わい深い演奏につながっている錯覚にとらわれてしまうのは、ひとつは冒頭の音型・・・・・このくずれをゆるさない主題を弾く上でのピアニストにもたらす冷静さと、第2主題、さらには第3楽章の主題に見る清らかで気高い音の響き、この涼しげな風情にピアニスティックに反応してしまうからであると思われます。

第1楽章の23小節からの経過句的な動きも、56〜60小節にかけてのディミヌエンドとクレッシェンドの流れ等、そして261小節からの緻密な要素も・・・・・モダンなピアノの技術センスで簡略に処理されて弾き飛ばされても、確かに不快ではありません。

また第3楽章も叙情的な主題と交互して技術的な楽句が登場することも、構成的に極めて明快だし、メカニック的な整理を作業としても必要としています。しかしながら、やはりぬくもりのある表現、古典的な解釈を超えるベートーヴェンのヒューマニズムのようなものが描けないと、薄べったくなってしまうということに意識を持つべきだと思うのです。

演奏上の留意点をさらに拾って見ますと、最初の始まりの部分が、1小節ずつ音楽が切断されて流れていかないパターンをよく聴きますね・・・・・ここは4小節が弧を描くように弾いて欲しいものです。和音の連打も<連打>ではなく歌としてとらえることで、ずいぶん雰囲気が変わります。そして中間部で大活躍する50小節からのモティーフが、感動とエネルギーを持って演奏されることが大事です。歌の深い節回しを持ったレガートですね。そして第2主題で(基本的に)テンポが落ちないようにする
等々が、第1楽章におけるポイントです。第2楽章では、オーケストラを思わせる表現が随所に見られ、11小節の上昇型のように、ダイレクトに管楽器の響きを連想させてくれる部分もあリますが、ピアノという楽器の能力に任せっきりにしないで、心の中で強いレガートのイメージを持つことが重要です。あと休符はいいかげんに処理してはいけません、丁寧に表現していきましょう。全体的には重々しい壮大な楽想にとらわれすぎないように、第3楽章を導く感じで演奏される方が自然で、やがて告別ソナタ等で活かされていくあの感じを連想すると、第3楽章に心を乗せやすいです。第3楽章では、同音の扱い(G音)・・・・・これが聴いている人の心をノックするように、丁寧に色合いを考えながら弾く必要があります。221小節や378小節から等が、よく間が持たない、ちょっとバカっぽい表現になりがちなのは、そこまで感激を持って演奏されていない故に、ただ叩くようになってしまうからです。全体的には速すぎないテンポが望ましく、技巧的な部分もドライに扱わないように、気をつけてください。251小節からはテンポが速くなりがちですので気をつけて。465小節からのオクターブのグリッサンド、もちろん両手で弾いてかまいませんし、逆にグリッサンドはよっぽどうまく弾かないと違和感すらあります。

昔ギレリスの鮮やかな手さばきに驚嘆したこともありますが、個人的にはまったくのオクターブとして弾いたバックハウスの貫禄あるやり方が、私のお気に入りです。485小節からを回想のように弾くのも、どちらのイメージもかまわないと思いますが、大事なことは529小節に来た時に、喜びと感激にあふれているか?ということなのです。
実は『熱情ソナタ』にも負けない絶大なエネルギーが内在する曲でもあります。音楽の喜びを感じて、決して指先ワザにならないようにすることが、最大のポイントでしょうね!


2002年9月号(P63)Interview

めざすは〈心配されるピアニスト〉斎藤雅広 
【文】浜田吾愛

「25周年だから、節目だから、とかいうふうに、シュウネン深くは考えないんですよ(笑)」
初めからお得意のシャレでこちらを笑わせてくれた、斎藤雅広さん。今年デビュー25周年を迎え、12月には記念リサイタルもひらく。が、特別あらたまった意識はないという。
「僕、自分で歳をとるのがわからないんですよ。縦関係が嫌でね、若い人と、いつも横並びのつきあいをしてるものだから」
それこそが、子どもから年配の人までファンを得ている理由のひとつだろう。そしてプログラムの変幻自在さも、大きな魅力となっているに違いない。
「毎回同じじゃつまらないと思うんです。だから、手を替え品を替え、楽しんでもらいたい。ひとつのパターンに、はまりたくないんですよ」
そのために、リサイタルからファミリーコンサート、レクチャーコンサートなど、なんでもこなす。時には共演者から篤い信頼を受けるソリスト、伴奏者となり、時にはピアノを離れて指揮やラジオ・テレビ出演もこなす。演技力にも定評がある。もう3年近く経つが、NHK教育テレビの番組で(キーポーズ)として講師をつとめたことは、覚えている人も多いだろう。
「イベントは楽しいですよ。そんなことをしていたら、いつまでも青二才のつもりが、いつのまにか室内楽でもいちばん年上になっちゃって(笑)」
そこでいまは、〈宗旨替え〉を試みている最中だとか。
「これからは、〈おじさまピアニスト〉として頑張ろうと思うんですよ。そしてそのまま〈心配されるピアニスト〉になれたら最高ですね」
心配されるピアニスト、とは?
「つまり、今日は弾いてくれるんだろうか、調子は大丈夫だろうか、機嫌はいいだろうか、ちゃんと仲良くやってくれるだろうか……つて周りから〈心配〉してもらえるピアニスト(笑)。それはつまり、いい意味で、愛されてるってことでしょう?」
僕も山あり、谷ありでしたから・・・・・と、ふと斎藤さんの口調が変わる。
「実はスランプのころ、園田高弘先生に相談にうかがったことがあるんですよ。そうしたら先生は、『(ピアノを)やめられるのか? やめられないだろう?だったらやるしかないんだよ』と言ってくださったんです。中村紘子先生からは、お葉書をいただいて。そうやって実力ある先輩から励ましていただいて、嬉しかったですね」
知られざる苦悩の時代を乗り越え、斎藤さんの出会いの旅は続く。
「出会いって、楽しいじゃないですか。このまま死ぬまで、楽しくコミュニケーションを続けていきたいですね」

■デビュー25周年記念斎藤雅広ピアノリサイタル
12月22日(日)14時開演 紀尾井ホール
問い合わせ:lVS音楽出版株式会社 03-5261-3361


2002年3月号(P82)「ピアニストの近況」

今年僕は、デビュー25周年を迎えます。長いこと弾きつづけてこられたのは、本当に嬉しいですね。1回1回のコンサートを大切にしながら、皆さんがもっとクラシックを大好きになってくださるよう、活動を続けたいと思っています。
12月22日には紀尾井ホールで25周年記念リサイタルをひらきますが、それまでにも、ワシントンでテロヘのチャリティとしてジュリアード弦楽四重奏団と共演したり、福井でワイマール歌劇場管弦楽団と『皇帝』を弾いたり、各地でいろいろなコンサートがあります」。
3月4日19時からは、銀座・王子ホールで『斎藤雅広 マイ・フェア・レディ』というコンサートを開きます (問い合わせ‥高嶋音楽事務所 03・5728・1731)。ピアノの樋口あゆ子さん、フルートの萩原貴子さんというすてきな女性おふたりを迎えて、僕は騎士のようにがんばらナイト、という感じです(笑)。『マイ・フェア・レディ』メドレーや、これも昔から好きだった『パリのアメリカ人』の2台版などを弾くんですが、(クラシックっぽさを活かしたジャズ)という雰囲気に仕上がるよう、いま編曲に取り組んでいるところです。自分の練習もし、コンサートの企画も立て…というのは大変ですが、通りいっペんではない、お客様が喜んでくださる演奏を心がけながら、弾いていきたいですね。(談)


2002年1月号(P39)「一冊の楽譜」<57>〜ピアノ五重奏曲Op.81 ドヴォルザーク(ジムロック社)

14、5年前にチェコのヤナーチェク弦楽四重奏団とこの曲を演って以来、実に頻繁にこの曲を弾いてきました。これは僕に、室内楽の楽しさ、すばらしさを教えてくれた曲なんですよ。
日本人グループも含め、多くの人たちとこれを演奏してきましたが、やはりヤナーチェク弦楽四重奏団との共演での感覚は忘れられません。彼らの音楽は、まるでひとりで演奏しているように、すごく一体感がある。しかもドヴォルザークと同じチェコの出身なので、リズム感とか歌いまわしとかが全員の身体にしみ込んでいるんですね。アンサンブルはキャッチボールみたいなもので、あ互い丁々発止と音楽を投げ合うわけだけど、そんなとき彼らからは、実に理想的なフレージングが返ってくるんです。
よく「アンサンブルの極意は?」と聞かれると、「相手に合わせてもらうのさ!」と答えるんだけど(笑)、実は本当のこと。ヨゼフ・スークともそうでしたが、巨匠といわれるような演奏家との共演は、テンポの確認や、双方がしたい音楽を伝えるだけで、あとは自然の呼吸のようにできてしまう。曲本来の解釈をふまえた上で、のびのびと自由にできるからでしょうね。リハーサルなど必要ないくらい。
いい演奏というのは、『いい空気』なんですよ。その空気を演奏家がつかめるかどうかで、演奏の善し悪しが決定してしまう。ピアノを学ぶ人たちも、もし巨匠と共演するチャンスを得たなら、遠慮することなく思いきり自分を出してみたらいい。きっと多くのことを学べると思いますよ。
これまでCDも数多く出してきましたが、彼らとの共演でのこの曲が僕のファーストアルバムです。その意味でも思い出深い曲ですね。

(表紙には、現在にいたるまでのヤナーチェク弦楽四重奏団歴代メンバーのサインが。初代メンバーのイルジ・クラトフヴィールや、中心的存在としてずっと活躍してきたアドルフ・シコラの名も見える)


2001年1月号(P96)「インタビュー」〜ピアノで贈る《大人》の味わい

昨年の10〜12月に、NHK教育テレビ『趣味悠々お父さんのためのピアノ講座』の講師をつとめた。お父さんたちが番組でサティの「ジムノペディ」を弾いていたように、大人の初心者がいきなり「やりたい曲」に挑戦することに大賛成・・・斎藤さんは、そう考えている。
「もちろん基礎からみっちりやるのもいい。でも、大人の男性がピアノをはじめる場合、89%ぐらいは女性にモテたいからなんです。ピアノにそういう素敵なイメージを持ってくれている場合、3年でも5年でもかけて、心から弾きたい曲に挑戦するほうが絶対に楽しい。僕もそれにふさわしい素敵な曲を紹介したいと思っています」

視聴者からの「課題曲をCD化してほしい!」という要望から生まれたのが、アルバム『マイ・ロマンス』だ。ショパンやドビュッシー、ガーシュウィン、プーランクからジャズ・スタンダードまで、《大人》のピアノ・ファンに贈る、渋くておしゃれなピアノ・アルバム。収録されたショパンの「ノクターン第2番」には、誰もが弾く曲なのに、なぜか初めて聴いたときのような新鮮さがある。こんな演奏に一歩でも近づくには、何に気をつけて弾けばいいのだろう。
「とにかく間違えないようにということばかり考えていても、弾くほうも聴くほうもおもしろくないんです。自分なりの表現、自分なりのイメージ、この曲にどういうストーリーを与えていくのか。これが一番重要です。あとはそれが作曲家の個性から逸脱していなければいい。そうして作りあげた自分の世界が、〈なるほど、この人はこの曲でこういうことがいいたいのか)って聴いた人に伝わることが、音楽の楽しみ。僕たちだって、その喜びがあるから他のどんな苦労もいとわないんですよ」
まさにそのとおりなのだが、受験やコンクールになると《音楽の楽しみ》と両立しづらいのが現状ではありませんか。そう訊くと、斎藤さんはハリーナ・チェルニー=ステファンスカ女史の言葉を教えてくれた。「学生は勉強してコンクールを受けたりする人。ピアニストはピアノを弾いて食ベている人。音楽家はショパンやベートーヴェンを研究して全曲演奏会をしている人。芸術家は自分で芸術を創造して聴衆に与える人。私は芸術家だ。あなたも学生やピアニストや音楽家ではなく、芸術家をめざしなさい」・・・ステファンスカ女史はいつもそう語っていたそうだ。優しげな目もとをいっそう細めて斎藤さんは続けた。
「僕も芸術家でありたい。それからデートのメニューで選んでもらえる演奏家になりたいね。〈あの人のあの曲を聴きたい〉。それで元気になったり恋をしたり・・・そんな風に思ってもらえるピアニストになりたいですね」。


2000年7月号(P75〜76)「ピアニストにとっての『舟歌』」〜心のひだが描かれた作品

ショパンの後期の作品には病気の影がある・・・等ということが書いてあり、彼の晩年の作品を弾くたびに、咳き込む作曲家の姿などを思い浮かべてしまう・・・???・・・音楽はもっと音楽としてとらえなければ、真の魅力は生まれて来ないしつまらない。天才の筆ならば、音に全ての事が綴られているはずだと信じた方が面白い・・・その背景を知る事は大事な事ですが、それに縛られては作品の意味すらなくなってしまう、特に心象を描いた作品においては・・・実際に演奏した事がない評論家等の言葉で、我々のイメージが限定されることほど愚かしいことはありません。
この舟歌は元来、1つの空間の中でこれほどのロマンティックな香りと心の動きが、すてきな満たされた時間の中でゆっくりと動いて行く・・・そんな作品なのに、当時のショパンとサンドの関係の終焉における孤独感等とひきあいにだされて、ふっきれる事のない狭い視野と暗いイメージでとらえられてしまうのは残念です。そもそもイタリアの音楽的語彙であるバルカローレに題材を求めているところから、一種の解放感とダイレクトな感情の動きが必要で、それが主人公2人だけの中で行われていくのが、官能的であり秘密めいていてロマン的なのです。
拍子がもともと8分の6拍子である舟歌を、倍の8分の12拍子にしてあることからも、旋律は断続的ではなく、よりレガートな大きなフレージングが要求される・・・歌としてとらえる・・・その意味からも12小節あたりのアルフレッド・コルトーのエモーショナルな解釈に魅せられたりするのです。斎藤雅広
39小節からの色合いを変えながら進む部分を、経過的に弾いてしまってはこの曲は死んでしまう・・・思いが深まるように弾けばこそ62小節からの旋律が生きてくるのですが、このメロディーの扱いが大変難しい。明るさを見出しながら何かを懇願するような表情が必要・・・すなわちアウフタクト66小節での一瞬のかげり、そして感情的に胸が高鳴るとふと優しくたじろぐ68小節のPの指示・・・これが天才的な指示だ・・・すると、続く72小節メノ・モッソのシチリアーノに似たリズムは、この曲の主人公の2人の心臓の鼓動のように聞こえてくる・・・それが平穏をとりもどしたとき、この曲の中でも最もロマンティックで美しいエピローグを導き出す・・・晩年のホロヴィッツがひときわです。
再現そしてクライマックスにかけては、歌としての把握をより重要に・・・ピゥ・モッソの指示であわててはいけない・・・特に103小節からの部分が付け足しの様にならぬ様に、構成を考えた上で感動して・・・あくまでも感情が主で、ついつい左手に気をとられ音量的な厚みで勇壮な感じになりがちであるので、気をつけなければいけません。最後のレッジェッロもいつくしむ様な表情を失わず情感を保つことが肝要・・・この曲は2人以上の前で弾いてはいけない・・・といったピアニストがいますが、それほどに愛すべき作品であり、心のひだが描かれたロマンティックな情景といえるのです。が、私はそんなケチな事はいいません。世界中の恋する人達のために、恋を知る人だったらいつでも誰でも・・・。


2000年4月号(P67)「とことんワルツ(嬰ハ短調作品64−2)〜このワルツに惹かれる理由」

まず楽しんでみる
この曲はショパンならではの叙情性を持ちながらも、比較的ショパン的な表現の枠組みを逸脱しているかもしれない点で、非常にユニークな味わいを持っていると考えます。
たとえば同じワルツの中でも第1番や『子犬のワルツ』は、共に通俗的名曲としての扱いを受けていても、やはりショパン作品のスタイルとしての響きや歌いかたが不可欠で、演奏するにあたり表現方法は限定されるといえる・・・・・つまりある種の〈ショパンらしさのツボ〉を心得ていないと、いかなる天才の手にかかってもなかなかしっくりいかない・・・・・という作品です。
ところがこのワルツはいろいろな表現が可能で、たとえばラフマニノフが自分の曲のように弾いているものも、ホフマンの芝居がかった演出も、コルトーの温かみのあるルバートやホロヴィッツのひねり、フランソワの気まぐれといったものまで、すべてが許容範囲になっているばかりか、多少無神経に弾き飛ばしたり不安定なテンポの設定になってしまったとしても、良い曲に聞こえる(?)、そんなレパートリーです。
その要因は・・・・・主題がロマンティックであると同時に一定の動きを持ち、それがモティーフのつながりで構築されているために、ルバートのパターンが決めやすいこと。また中間部と主部との対比が明確で、かつ接続すべく挿入句が決まりごとのようにおこなわれるのも構成がわかりやすい。またその挿入句がロマンティックな音列であることと、3回繰り返されるのが演奏者の感興をそそる・・・・・この曲はそうした意味でだれにでもうまくとらえることのできる要素をいっぱい内在している点と、さすがにショパンならではの筆さばきで芸術性の高さを失っていない点が人気の秘密でありましょう。
巨匠たちの個性的な演奏を楽しむもよし、しかしながら決定的な解釈というものを決めにくい曲でもありますので、それぞれの考えを明確に打ち出して、まず楽しんでみることから始めるのが重要でしょう。
そして「奥が深い」などといいながらグラスをかたむけ溜め息をついたりする・・・・・そんな感じがいいなあ、ね、皆さん!


1999年2月号(P72)「ショパン24のプレリュード」〜各々の曲に広がる物語世界

ショパンのプレリュードはバッハの平均律に触発させて作られたものだが、内容的にはまったく異質である。つまりここで描かれているのはまさに「詩」そのもので、それは人間ショパンの「心からの感情表現」ととらえるよりも、あくまでもショパンの目・五感が感じとった「なにか」の中から彼が選び作り上げたフィクションと考える方が、演奏にあたっての大きなヒントとなる。かつての名演の中で天才的な表現の可能性を示したアルゲリッチやフランソワは、こうしたアプローチをしていない。また詩的表現として評価の高いコルトーの歴史的録音も、音の雑記帳的な印象を与える。要するにクリエイティブな彼らの音楽性はひとつひとつの曲にテーマと物語を与え、音の万華鏡のような世界を作りあげてしまったのだ。たとえば抒情的な名作、第17番についてステファンスカ女史は「昔愛していた恋人の墓の前に立ち、静かにもの思うさま」と語ったが、小川のせせらぎを思わせる第3番や革命にもなぞえられる第22番等々、まったくちがうドラマが実はどこかに、ひとつの一貫した作者の目が存在していて、演奏者の感情移入にある種の方向性をさし示しているようには感じられないだろうか。アンデルセンの「絵のない絵本」ではないが、幾多ものストーリーが同じ視点、あるいはひとつの空気によって支配されている。だからこの24曲は最初の曲をどう弾くかによってすべてが決まってしまうかもしれない。魂の飛翔を思わせる情熱的な表現、いかにも序曲的なさりげない表現、オペラ的に歌いあげる等・・・しかし抒情的にどこか悲しみをかみしめるように弾きはじめる人は稀である。第1番のすぐ後にはショパンの作品の中でももっとも陰惨なあの第2番が来る。第3番、第5番も第4、第6曲に合わせた形でむやみに明るく速く弾いたりせず、第8番の嵐もむしろ音の美として受けとめ、第12番に至り、はじめて真の情熱を感じさせる・・・そんな理想的なプレリュードは悲しく不幸せな天才でなければつま弾くことはできないかもしれない。
まず、第1番で必要なのはレガートである。折り重ねられた音型からメロディーを選び、ベルカントのように歌いつつ、これから描かれていく「詩」のセンシティブな感性を予見させなければならないだろう。同様のことが第5番にもいえる。微妙な音感の色彩が決して声高ではなく、やさしく表現されていかねばならない。とくにコーダ前の盛りあがりは感情的であるが感傷的であり、真の天才なれば速く弾くことはないであろう。有名な「雨だれ」の曲は、中間部では抑圧されたポーランド人の心情が運命に悲劇的に押しつぶされていくさまが表現されている。ここは完全なレガートでの歌が要求されるが、冒頭の主題はとにかくペダルをクリアーに踏みわけることだ。これがメロディーを浮きあがらせ、そのクリアーな音像が悲しみを表出していく。
この曲集の中で最高の難曲はなんといっても第19番であり、この抒情的でためらいがちな表情は、完成度の高い技術と合わさってはじめて、美しさを示すのである。またこの曲集は24曲まとめて弾かれて意義を持つ曲であるが、逆にひとつの空気を前述のように示すことができるのなら、セレクトしても価値は落ちることはないと思う。当然少数意見であろうが・・・。
イギリスで

1999年2月号(P57)「私の好きなピアノ」

☆ヤマハコンサートグランドピアノCFV−S、かつてのスタインウェイ
★基本的にはメーカーではなくピアノも個であるので、スタインウェイであろうとベーゼン、ベヒシュタインそれぞれいい状態のピアノであれば、なにも文句はないのです。ここ10年くらいスタインウェイの品質は落ちていると思われ(それは調律等メンテナンスについても同様で)一時期のようなキュンと立った音のするピアノにはなかなかお目にかかれません。Kホールのスタインウェイが良くないこととかは定評だし、今のスタインウェイはあまりに簡単に音が出てしまい色がないと言われています。ベーゼントルファーはとても品質の高いピアノですが、なんせ湿度の多い日本の風土との相性は最悪といって良く、ベーゼンの銘器を日本で維持するのは不可能かもしれません。カワイピアノは音がフラットな感じがするのが気になりますが、中低音部の鼻がつまったような音質は改善されてきています。フラットという意味ではベヒシュタインも似た感じをもっていますが、ベヒシュタインの華やかさと音の立ち上がりはまた独特で、慣れていないと曲が単調になってしまいます。最近のヤマハピアノはそこにいくとオールマイティであり、CFV−Sはその上品な音色感と多彩さ、そして安定感とパワーにおいて現在世界最高のピアノといっても良い逸品だと思います。一時期言われていたタッチの軽すぎる傾向も最近は落ち着き、なによりもメンテナンスの水準の高さ(もちろん個人差はありますけど)も私たちにより一層の充足感を与えます。しかしながらピアノは生き物ですからホール側がどのように保存し手を入れているのかが一番重要。あちらこちらですばらしいピアノに出会える日常とは言い難いのがとても残念です。


1998年11月号(P70)「ピアニストがふりかえる日本の音楽コンクール」〜コンクールの光と影

もしコンクールを受けることなくデビューし、脚光を浴びて第一線で活躍できるのならば、受けない方が幸せだ。コンクールは基本審査員の都合で動いており、自分の弟子をかかえた審査員は公正な審査はしない(?)し、審査員の持つ力関係も影響大だ。公正であっても弾く順番や弾く時期(朝早くとか)によって結果は微妙に変わったり、何よりも1位以外の人は何らかの挫折感を味わわされることが良くないと思う。こんな心の傷を受けて、才能も個性も光っていた人がどれだけリタイヤしていったことか。
でも逆に、「落ちてもぜんぜん平気な人」とか「さしあたって目標がない人」はコンクールをどんどん受けたらいい。確かに限られた期間にいくつかの作品を集中的に勉強するのは、腕をあげるには大いにプラスなのだから。
ところで審査員で座っていて「この子が入賞するな」という予想が外れたことがない。つまり、こういう演奏をすれば賞がとれるという演奏スタイルやテクニックがあるということだ。ある程度の人なら、それがわかっている先生のもとで真剣に勉強さえすれば絶対入賞できる。そういう演奏方法を知るのもプラス。ただそれが身につくと大成はできないかも。

[誌面には、日本音コン1位のときの若き斎藤雅広の姿が(違う人みたい)・・・是非、バックナンバーを手にいれてください!]



1998年10月号(P60〜61)「ピアニストにとっての名曲の魅力」〜乙女の祈り

『乙女の祈り』を子どものころに弾いた経験はないのですぅ。この曲を知ったのはレコードで、この手の小品が得意なジェローム・ローウェンタールの演奏で『幻想即興曲』等と一緒に聴いてました。当時(ボクを含めて)男の子はこの曲を弾いてみたいとあまり思ってなかったのでは? ボク自身もランゲの『花の歌』の方がいいと思ってたもんネ。
そんな『乙女の祈り』の魅力は、内容がすこぶる単純なとこ?! ホントホント、この単純さが良いのです。深く考えずにすむし、車で言えば「道なりに進んでいく」ように弾いていけば結構まとまってしまう。そこにいかにも「ピアニストになった」ぽいパッセージが、一見難しそうに散りばめられる・・・・・これが「ああピアノを弾いている」という実感をあおっちゃったりして。でだしのオクターヴの下降形もある意味で華やかで壮大だし、おまけに複雑な和音でない分すっきりしていて「あぶらっこく」ない。つづく旋律部分のオクターヴも涼やかな響き・・・・・メロディーそのものもとろけるほど甘美ではないが優しく、弾きようによっては切なく、そして何よりも覚えやすく・・・・・ウーン、にくいねぇ。つまりこの曲は(非常に悪い言葉で言えば)安普請な造りではあるが、ピアニスティックな響きや魅力を感じさせてくれる曲・・・・・「この曲の先にショパンやリストの素敵な作品がある」という夢を見せてくれる・・・・・、やはり名曲です。潜在的に甘ったるい情感ではなくどこか毅然とした風情があり、ショパンの国ポーランド人の誇りが感じられ、その上品さは決して失わないように演奏したいものです。作曲者はサン=サーンスやチャイコフスキーと同世代の人ですので、左手はいつもリズムを刻みますが、「同じテンポで弾きつづけなくては」という観念にはあまりしばられない方がいいと思います。序奏は速めに(異常に遅く弾かれることが多いですが)降りてくる。テーマは脳天気な明るさで弾くより、どこか哀愁を感じた方が良いでしょう。第一変奏は暖かく優しさをもって、第二変奏は軽やかなイメージで、決して重くならず自由に弾けると良いですね。思いを込めたり華やかさを加えたりした後に、コーダではスラーのついているところの歌い方に気をつけて、若々しさを忘れずに演奏してみましょう。あなたが大人ならノスタルジックな感じも良いかもヨ。


1998年3月号(P75〜76)「音楽・・・愛と別れと出発と」

【『悲しみのイメージ』から生まれる切ない曲たち】
人間悲しいときってなにもできなくなるものじゃない?だから死に別れたり失恋したりしたことが、すぐ音楽になっちゃうってぇのは、本物の落ち込みでないような気がするなぁ。たとえば演奏家が悲しい事があって歯をくいしばって舞台に立ったとき、「いやあ、今日のは涙なくして聴けないねぇ」と、事情を知らない誰かが見事指摘しちゃったり・・・・・ないね、ありえません。むしろ「がんばらなくっちゃ」という気持ちが強くなるので、「いい年をして力まかせの・・・・・」てな批評が来ちゃうのが自然だね、トホホ・・・・・。音楽にとっては「悲しみそのもの」より「悲しみのイメージ」が重要で、実際に彼女と別れたその時よりも、幸せなときに「もし別れることになったら・・・・・」なんて考えることが大切!?いやいやホントに大切なのは「不在感」もしくは「喪失への不安感」、これが切ない曲を生むと思う。
ぼくにとって忘れられない曲はプーランクの『メランコリー』という作品。中間部なんか自己満足っぽくて、全体的には良い曲とはいえないかもしれないんだけれど、あの曲がはじまるとむしょうに悲しい。涙を溜めながら優しく微笑むような・・・・・大事なものが手から離れていくのを見ていなければならないような・・・・・愛情が深ければ深いほど身にしみてくる。
あとショパンの曲はみんな悲しいね。はしゃいでいてもそれは回想シーンの中のことのようで、あれは精神的な孤独が奏でている音楽だ。
出発ちの曲といえばブラームスの弦楽六重奏曲第2番《アガーテ》。結婚まで考えたアガーテとの愛、しかしブラームスは作曲家として自由に生きることを選ぶに至り、心の痛手に苦しみながらも1864年のある日、人知れず彼女の住む家の前にたたずみながらこの曲を書くことを決意する・・・・・。自分でドラマしちゃってる・・・・・ね。
またよくあることで、実際に悲しいことがあったとき、ちょうど偶然そこで流れていた音楽(もちろんTVでもCDでも町でも家でも、音楽家だったらそのとき手がけていた作品)、これが曲の内容にかかわらず自分の「悲しみのテーマ曲」になっちゃうってこと。世間からぼくは「落ち込んでいる人を元気にする名人」とか「弟子がみんな異常に楽しそうでいったいどうしたんだ」とか「究極の男あげまん(つまりお付き合いした人が妙にハイテンションになって離陸していく)」とかいわれてますけど、これでも小学生時代いじめられてた時期があって、そのころレコードでよく聴いていたリストの小品が、ついつい最近まで(ハンガリア狂詩曲なんかが)辛く悲しい気分にしてくれましたよ・・・・・信じられないでしょ。まぁとにかく音楽家としては、偶然でも「悲しみのテーマ曲」の演奏者にはなりたくないよねぇ〜。という訳で、みなさまの幸せとともに思い出していただけるように、これからも目いっぱいいろんな趣向の「面白いコンサート」をやっていきたいですぅ!
幸せな人、楽しいことを求めている方、おめでたい方(自覚している人に限る)、ご来場をお待ちしています。



1997年12月号(P17〜19)「Pianist/One day」

(略)
【なじみの場所】
演奏会をはじめかなり忙しく毎日を送っている斎藤さんだが、自宅近くの田端銀座へは、日用品やお惣菜を買ったり、クリーニング店を利用したり、としばしば通う。優雅なひとり暮らしを楽しむ斎藤さん、商店街での買い物は、「おばちゃんたちと混じって見て歩くと、ほっとするし楽しくて」とのこと。ほかにも行きつけの定食屋さんなどもあり、地元の生活者として地域になじんでいる。
が、夜ともなると都心を徘徊、おいしいお店を渡り歩くのが大好きだ。この夜も「贅沢な安らぎ」を味わえるお気に入りのお店、原宿のフランス料理店「ル・カーナヴァル」へ。ここへ来ておいしいものをお腹いっぱい食べるのが、至福の極み。「趣味は人づき合い」なので、いろいろな人を連れてきたりもする。
【弾くこと大好き!】
目下の悩みは、忙しくてなにかと時間が足りないことだ。そして慢性的な睡眠不足。活躍の場が広い斎藤さん、もっと自分自身のための練習時間をとりたいけれど・・・というところ。それでも、嫌な仕事はひとつもないというから、根っから音楽に関わっていたい「音楽人」なのだろう。しかも、ステージに限らず遊びで弾くのも大好き。
そこでこの日も、満腹感を味わったあと、夜も遅くにやってきたのは銀座のメンバーズクラブ「WIN」。グランドピアノを備えたこのお店、クラシック、ジャズ、タンゴ・・・と生演奏を楽しめる。斎藤さんも飛び入りでセッションすることがしばしばだ。
「弾くのがとにかく大好きだから、朝まで弾いて夜を明かしても平気。こうして人と楽しく時間を過ごしていると疲れも吹っ飛んでしまう」
かくして、この日も夜の遅い斎藤さんだった。

[誌上には、とーってもアヤシイ・・・としかいえないような写真(それもオールカラー)がいーっぱい掲載されています・・・是非是非是非是非、バックナンバーをご入手されることをおすすめいたします・・・ほんとに本屋で立ち読みするのが恥ずかしかった・・・]


1997年10月号(P117)「ピアニストに接近!ピアニストのHome Page」

Q.ホームページ開設のきっかけは?
A.今年からNHK『トゥトゥアンサンブル』のレギュラーになって各種お問い合わせが多いので・・・。またいろんな仕事をしているのでそれを整理して実際に見ていただければと思って。まっ、なんでもやってみよう精神!ってとこかな。
Q.ホームページの内容は?
A.盛り沢山!私のすべて・・・のうち、85%ぐらいはわかる??思いつくことをやってみたんだけど、ステーキ、おすし、うなぎ、フランス料理をグリルしてイタリア風に盛り付けた感じ。(略)
Q.周囲の反応、魅力etc.は?
A.なんかすごいんだよね。時間ができたらさらにパワーアップして充実させたいですネ!とにかく1回遊んでみてください。YAHOO!で「まさひろ」を調べると、中居正広・・・斎藤雅広・・・てな具合で出てきますヨ。


1997年6月号(P10)「みんなの音楽〜音楽を知る」・・・NHK教育テレビ『トゥトゥアンサンブル』

(略)この4月よりNHK教育テレビでスタートした、小学校3,4年生向け音楽番組『トゥトゥアンサンブル』で、音楽の森に住むピアノの名手、“キーボーズ”役を演じる斎藤さん。その衣装を着けての1枚。(写真はバックナンバーをお求め下さい)
ドラマ仕立てのこの番組。そのあらすじは・・・、大きな古木“トゥトゥトゥリー”があたたかく見守る音楽の森。そこに迷いこんだひとりの少年が、笛の妖精“ララ”と“トゥトゥトゥリー”の使者“ピピ”と出会い、苦手なリコーダーがだんだん上手に。さらには、斎藤さん演ずる“キーボーズ”の導きで、いろいろな楽器の演奏家たちと触れ合い、アンサンブルの楽しさにも目覚めていく、というもの。「第2回目『ピアノはおどる』にご出演いただいた中村紘子先生を始め、各楽器とも第一線でご活躍の方々をお招きするという、きわめて贅沢な番組。私自身も“演奏は万全で納得のいくものを”の姿勢を崩さず、収録にのぞんでいます。芝居は初めて。演奏直後の台詞は、息づかいが整えられず、声のトーンが下がったり、早口になったり、大変」と、話す斎藤さんのテンションの高いこと。長時間に及ぶ緊張感張りつめる収録もなんのその。その意気込みや並々ならぬもの、とお見受けした。

[誌面には、紫色の着物に鍵盤の袈裟、水色のタスキをかけて・・・とりあえず左手はピアノに触ってたりするお茶目な(?)キーボーズの写真が掲載されています。是非、バックナンバーをお求め下さい。]



1997年5月号(P9)[特集T/レコード見せてください・・・ピアニスト5人に聞く「私のレコード」これが私の愛聴盤です]

秘蔵のLPはアラウのブラームス協奏曲・・・昔から、一般に手に入りにくいレコード、つまりプライベート録音やライブ録音などレギュラー盤でないレコードを集めるのが大好きです。(中略)未だにCD化されていない秘蔵のLPは、クラウディオ・アラウが1968年にモスクワ音楽院大ホールで弾いたブラームスの1,2番の協奏曲ライブ盤。ロジェストベンスキーの指揮で、ドイツの空港で見つけたと記憶しています。(中略)ソフロニツキーのものは、録音状態が悪かったり演奏にムラがあったりで、全集を聴いてもいい演奏になかなか出会えないのですが、彼のいい演奏というのは他のピアニストとは比べものにならないくらい魅力的で、一度味を覚えてしまったらもう大変!忘れられません。バリトンのピエール・ベルナックは、プーランクと組んで多くの録音を残したフランス歌曲の神様。オペラやジャズボーカルに至るまで歌ものは大好きですが、ベルナックの歌には「音楽の表情はこういうふうにつけるんだよ」というクラシックの演奏のもっとも完成された究極を見いだすことができるんです。

[こちらは新居に移り住んだばかりの、とても実年齢には見えない愛らしい顔(?)の斎藤雅広の写真が掲載されております・・・ショパンの方、写真撮るのお上手ですね!?・・・ハイ、気になる方はバックナンバーをご購入あれ!]


1997年1月号(P77〜78)[特集U/ピアニストになりたい!!・・・どんな人がピアニストになれるのだろう?]斎藤雅広

楽しいけれど、舞台人はたいへん・・・・・大体オーボエ吹きはナルシスト、クラリネットはスケベ・・・・・というように楽器によってカラーがあるもので、ピアニストは「オタッキーなネクラ・ゴキブリ男」と「かわいい笑顔の超・気の強い女戦士」というのが定番(いいの?そんなこと言っちゃって)でしょ?でも、最近は個性の強い人がいっぱい出てきてピアニストは十人十色になってきました。良い傾向ですよね。そこで「どんな性格がピアニスト向き?」と聞かれてもネェ、ひと言じゃ無理っていう感じ。
まず、人前で演奏したことがあればわかってもらえると思うけど、とにかく自分の納得のいく(許せる)レベルの演奏ができないと本当にブルーな気分だよね。(中略)だからせめていつも気持ち良く舞台に立てるようにはしたいから、自分の人生や生活・考え方なんかをそれに合わせていく努力は必要なんじゃないかな。いつも言うんだけど「大胆な演奏は大胆な私生活から!」って。その後生活を改め「2マタ、3マタはあたり前!」「明るく、楽しく、セクシーに」とパワーアップして、上手くはなるはコンクールで賞も獲るは・・・・・で、充実した演奏活動をしているお弟子がけっこういますヨ。これホント。それが人間として幸せな人生かどうかは別問題ですけど、とにかく仕事がうまく行かなければ絶対に心からの幸せを感じとることができないのが舞台人なんだから、しょうがないっショ!逆に几帳面な演奏は几帳面な私生活からだろうし、誠実さを求めるなら誠実にしてなきゃ。密接だよね、コレ。でもどんな場合でも当てはまると思うのは、言葉は悪いけど「演奏はその場限りのもの」ということ。つまりどんなに練習してあっても本番でコケればそれまでだし、逆に遊び歩いてても本番さえうまく行けば(そんなことはあまりないけどネ)OKという世界だから、一瞬にかける集中力は必要だよねぇ。コレがなかなか・・・・・ムズカシイ。やっぱりふだんからその場限りで生きてることが大事だよ!?先のことを考えず、思いつくまま積極的にやりたいことをやる。基本的には他人に危害を加えない程度にわがままで自分勝手な方がいいということかな。あとピアニストには長時間の練習がなぜか必要ですよね。(中略)本来練習って楽しいものだと思う。自分の世界だもん。昔は1日13時間くらい弾いたこともある(ダイエットにもおすすめです)けど、今はいろんな仕事をしているので1分でも1秒でも練習時間をとる努力に追われる毎日で、伴奏や室内楽等を合わせると延べ200曲くらい抱えて途方に暮れたりもするわけ。こうなると寝る時間を割くしかない。あと電車の中で譜読みをしたりとか・・・・・いずれにしても睡眠不足。ということはやっぱり体力!これがいちばんでしょうネ。(中略)夢はあるし楽しい面もあるけど、楽な仕事ではないということですね。いつも音楽のことを考えてなきゃならないということが喜びでもあるワケですが、私も本当に多くの方々の応援と支えがあったからこそ、続けていられるという感じです。感謝感謝の気持ちを胸に、いつまでも弾き続けることができるように頑張りたい・・・・・!と思います。そしてまた今日もこのクレージーでハッピーな人生の冒険に出かけます。ぜひごいっしょしましょう!



1996年10月号(P102〜106)「PianoCONCERTALK」より抜粋・・・詳しくはバックナンバーをご参照下さい。
斎藤雅広×種子島経(BMW東京株式会社代表取締役社長)

楽から生まれるもの・・・BMWショールームでコンサート

斎藤:このたびはBMWのショールームで開催したおしゃれなサロンコンサートに参加させていただいて、ありがとうございました。ふだん車を展示しているスペースでのコンサートって、まさに意外性のコンサートですね。
種子島:ええ、林さんという新宿支店の女性支店長が企画しまして、新宿支店ではもう何回か行っているんです。その林さんが、ある日斎藤先生のコンサートを聴いて、「すばらしいピアニストを見つけました」と言いましたので、今回ご協力していただいたんです。
斎藤:共演者は種子島社長のお嬢さんで、ソプラノの美樹さんと、ヴァイオリンの美加さん。
(中略)
楽しいコンサートをやっていきたい
斎藤:演奏家には車の好きな人が多いんですよ。それもBMWかベンツに乗っている人がすごく多い。僕も種子島さんにBMWを3台いただいて、オーナーになりました。まあ、それはミニチュアですが(笑)、本物も欲しくなりました。
種子島:そう言っていただけるとうれしいですね。私どもBMWの場合は、常々「車を売るんじゃなくてライフスタイルを提供するんだ」という言い方をしているんです。(中略)BMWのショールームを文化の発信地にできないだろうか、という発想で試みたひとつがサロンコンサートなんです。だからその出演者である斎藤先生に「BMWが欲しくなった」と言っていただけるのは最高です。
斎藤:買わせていただきます、そのうちに(笑)。コンサート終了後、レセプション会場までBMWを5台ぐらい連ねて行ったでしょう。あれが気持ちよくてすっかり味をしめましたから。ただし、車を買う前に免許を取らなくちゃ(笑)。
(中略)
斎藤:そう、コンサートっていろんな形のものがあっていいんですよね。サロンコンサートはお客様と近いところで演奏しますから、反応がすぐにわかる。それだけに若いころはすごく怖かったけれど、今はそれが大好きになりました。この前もお嬢さんが「霧と話した」という曲を歌ったとき、一番前の女性が泣きはじめたんですよ。僕はそれを見て「もっと泣いていいよ!」という感じでピアノを弾いていました(笑)。
種子島:うちのショールームでやるのは、音響効果の面ではいろいろ問題があるでしょうが、昔の貴族が自分の館にお客様を招いて開いたサロンコンサートに近い雰囲気が出せると思っているんです。
斎藤:そうですね。演奏者もお客様も慣れてきたら、もっと楽しいコンサートになると思います。
種子島:でも、斎藤先生の語りは楽しいですねぇ。
斎藤:僕、好きなんですよ、臨機応変にできるコンサートって。難しい曲でお客様がとまどっているな、と思ったらトークを入れるとか。今回は自由にさせていただけたので、張り切ってやらせていただきました。
(中略)
斎藤:もちろん僕はまじめなコンサートもやりますが、内容も笑いもあるエンターテイメントなステージ作りが大好きなんです。よく「演奏の合間に話もして大変でしょう」と言われますが、全然そんなことない。『スピーク・ラーク(楽)』と言うくらいですから。
種子島:アハハハ・・・・・、また何か一緒にできる機会があればと思っていますので、これからもよろしく。
斎藤:こちらこそよろしくお願いします!


1996年3月号(P42〜43)「ピアニストの部屋」・・・陽気な芸大のホロヴィッツ終演後にサインをする斎藤雅広

ピアノ、作曲、編曲、司会、プロデュースなど八面六臂の活躍をする斎藤雅広さんは東京の渋谷生まれ。父親は有名なバリトン歌手の斎藤達雄氏で、4歳のときから父のピアノを弾きはじめた。中学時代は父が静岡の常葉短大学長を務めていたので、そこで育った。
東京芸大附属高校入学を期に、埼玉の草加松原のマンションに移った。(注:現在は引っ越してしまったので、懐かしい斎藤雅広の部屋をご覧になりたい方はバックナンバーをお求め下さい。木之下晃氏撮影の芸術的な写真が掲載されています。この写真、よくよく見ると若き日の斎藤のポスターが壁に貼られていたりして、けっこう見所あり!)
(中略)
食事は外食のプロを自認。美味しいものを探し歩く。うまいものに当たると店を変えてそれを食べ歩くのが趣味。今は原宿のフランス料理店「ル・カーナバル」がゴヒイキ。
趣味は人づき合いというほどに朗らかで楽しい人柄。お酒は飲まないけれど、陽気な場作りをする人。
東京芸大1年生のとき、第47回日本音楽コンクールで第1位。その華麗なピアニズムから「芸大のホロヴィッツ」と愛称された。卒業後、ポーランドのクラコフでチェルニーの子孫であるハリーナ・チェルニー・ステファンスカさんの内弟子に入って2年間学んだ。彼女は才能ある人を自分の家に招いて、全くの無料でレッスンをする。これはチェルニーがリストなどを無償で育てた誇りの継承。
(中略)
斎藤さんの隠れ技をひとつ。それは裏書きサインで、これは裏から透かしてみると読めるという手のこんだもの。